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    いろはかるた 『 よ 』 遷喬館

    歴史と人形のまち岩槻 児玉南柯による私塾 遷喬館

    連日台風10号による豪雨によりました多大な被害がありましたことは、ニュース等で知りました。

    被災されました多くの方々には心からお見舞いを申し上げます。

    一日も早くご復興なさいますようお祈り申し上げます。

    岩槻を表現する言葉に「岩槻にすぎたるものが二つあり、児玉南柯と時歴史と人形のまち岩槻 遷喬館の鐘」があります。

    『児玉南柯』は遷喬館という私塾を開き子弟の教育に力を注ぎました。

    『時の鐘』は、1671年岩槻城主阿部正春が渋江口に設置し、後に改鋳を経て現在に伝わるものです。

     

    埼玉県さいたま市岩槻区本町4丁目8−9

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    いろはかるた 『 ち 』  千倉 元順碑

    歴史と人形のまち岩槻  千倉 元順碑

    南千倉海岸にある元順号遭難救助の碑

    千葉県安房郡千倉町(現・南房総市)1981年友好都市提携

    安永9年(1780)に当時岩槻藩領であった千葉県千倉へ清国の舟が漂着した事件をその処理に郡奉行として携わった南柯の業績を物語る伝説

    浄安寺のちご桜

    江戸時代、岩槻藩主に仕えた儒学者の児玉南柯は多くの著作などをのこしています。

    そのうち南柯が書いた書物版木が菩提寺の 浄安寺に保存されています。

     

    浄安寺の境内には大きなしだれ桜がありました。

    その花が咲くころには、ほかにたとえようもないほどの美しさだったと言われています。

    桜のかたわらには寺の鐘撞きかねつき堂があり、浄念じょうねんという名18・9歳になる小坊主が毎日金を撞いていました。

    ある日のこと、浄念が金を撞き終えて堂から降りてくると、桜の花の下に美しい少女が立っていました。

    次の日、また次の日も、少女が花の下に立って浄念に微笑みかけているのです。

    浄念は朝のくるのが楽しみでなりませんでした。

    この少女の名を妙といい、二人はだんだん親しくなっていきました。

    このころ児玉南柯は『漂客紀事ひょうきゃくきじ』という本を書き上げて殿様のお目にかけたところ、殿様はたいそう良いできばえだとほめたたえ「さっそく版を起こして人々に読ませなさい」と南柯に言いました。

    しかし南柯は「版木になる桜の木がないので困っています」と殿様に申し上げました。

    すると殿様は「桜か・・・・・・。あるある、浄安寺の境内にある大きなしだれ桜がいい。住職に話しなさい」と言いました。

    「でも、あのように美しい花の咲く桜を切ってしまっては寺の風情にかかわります」と南柯が申し上げると殿さまは「いやいや、よろしい。先生の学問のためには桜も喜んで犠牲ななってくれよう。天下の名文を埋もれさせることはできない」

    浄安寺の住職もこの話を聞き、南柯先生のためであるからぜひお役に立ててほしいと、大きなしだれ桜の木を提供しようと申し出ました。

    桜を切り倒す日になりました。妊婦がおおきなのこぎりでその根元を切り始めると、驚いたことに真っ赤なおかくずが血潮のようにあふれ出しました。

    それだけではありません。桜は、のこぎりを動かすたびに泣くように、訴えるように、叫ぶように、まるで生き物を殺生するような恐ろしい響きをたてて切られていったのです。

    その嫁のことです。息苦しくてなかなか寝付かれない浄念がふと障子を見ると、あの妙の姿が幻のように障子に映っているではありませんか。

    「浄念さま、長らく深いお情けをいただきましたが、もうお会いすることができません。実は、私は桜精なのでございます。

    南柯先生の版木になるために切られましたので、この世から消えなければなりません。お名残りおしゅうございますが、これでお別れいたします。と言い残してすーっと消えてしまいました。

    浄念は妙の話を聞き、驚きのあまり気を失って寺を出て行き、いずこかへと姿を消してしまいました。

    その後、真夜中になると誰もいないのに鐘楼の鐘が悲しい響きを立てて鳴るようになったということです。

    < 資料抜粋 いわつき郷土文庫 第2集 岩槻の伝説 岩槻市教育委員会 >

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    いろはかるた 『 れ 』  十三重の塔 (華林山 慈恩寺)

    歴史と人形のまち岩槻 十三重の塔

    玄奘三蔵霊骨塔 慈恩寺

    玄奘三蔵霊骨塔

    境内の十三重霊骨塔には、中国の古典『西遊記』でおなじみの三蔵法師玄奘の遺骨が分骨され、安置されています。

    西遊記(孫悟空物語)で知られる三蔵法師(玄奘)は、西暦602年中国に生まれ、経典を求めて、天竺(インド)を志し幾多の辛苦を克服して、17年に亘って仏典の蒐集研鑽に励み、しかも帰国後63歳で遷化されるまでに、大般若経(600巻)等千三百余巻の経典を訳した。

    その行跡は、中国日本佛教史上に不滅の光りを放つ不世出の高僧である。

     さいたま市岩槻区慈恩寺139 華林山 慈恩寺

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    いろはかるた 『 か 』 武蔵第六天神社

    歴史と人形のまち 岩槻 武蔵第六天神社

    境内には、樹齢数百年と言われる藤の花をはじめ、牡丹・紫陽花・躑躅・西洋藤と言われるキングサリの花が咲き乱れ、元荒川の岸頭には桜並木が続き、埼玉の自然百選、岩槻の観光名所として風光明媚なお宮であります。

    又、門前には、鯰の天麩羅、鰻の蒲焼き、鯉料理等で有名な老舗川魚料理店が立ち並んでおります。

     

      その昔、岩槻城下の繁栄を極めたる当時、江戸城の鬼門寺として有名な華林山慈恩寺や、日光廟に往来した諸人は、日光街道を曲げて現在の元荒川沿いを下って岩槻城下の第六天神社に奉拝したという記録が残されている。

    また、戦国の世に、岩槻城主太田氏の将兵の信仰を得て、岩槻城下に暮らしを立てていた武士や町民や商人、農村の人々が、この草深い祠に奉拝して霊宝を賜ったといわれている。人形のまち岩槻 武蔵第六天神社

    殊に農民の豊饒為福、商人の商売繁盛を図るには第六天神社の御神札がなくてはならないぬものであった。

    年に一度、向かい天狗の絵馬と神札をおし戴いて家郷に持ち帰り、家内安泰・作物豊饒・災厄除去を祈れば、その霊験顕れて、秋の実りの収穫となり再び御礼に参り、年々信心者が殖えて、今日の第六天神社の大きな基盤となったのであります。

     

    御眷属—天狗様

    天狗様は第六天神社の御眷属(御使役)であり、諸々の心願や信仰の仲立ちされる役目を御持ちになり、古来から手書きの手法で伝わる向かい天狗絵馬を授かる人々は跡を絶たず、御神徳の雄大無限なるあらたかさを伝えております。

    また、現在社殿の中に大切に保存されております御神木は、大天狗、烏天狗が宿り、奉拝者にご神徳を授けたと称され、今日も尚、災厄除去・無病息災のために御神木に触れる事を唯一の念願として奉拝する崇敬社でにぎわっております。

    ——– 武蔵第六天神社 配布資料より抜粋 ——–

    天狗が昼寝をした杉

    元荒川のほとりにある第六天神社は、桜の咲くころは大変美しい景観を見せています。

    この第六天神社のご神木とされている大きな杉の木は、その昔、天狗が昼寝をした木なのだという言い伝えがあります。

    杉の木のどの枝にどんな格好をして昼寝をしていたのでしょうか。いまとなっては知るすべもありません。

    残念ながら天狗が昼寝をしたという杉の木は、昭和48年(1973年)の社殿改築の時に切り倒されて、現在では残っていません。

    ——– いわつき郷土文庫 第2集 岩槻の伝説 さいたま市教育委員会 ——–

     

    東武アーバンパークライン 岩槻駅下車
    岩槻駅より朝日バスをご利用ください。
    「越谷駅西口」行き又は「水上公園」行きでバス停「巻の上」にて下車徒歩10分

     

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    いろはかるた 『 わ 』 平林寺跡

    歴史と人形のまち岩槻 平林寺跡

    歴史と人形のまち岩槻 平林寺跡永和元年(1375年)石室善玖の開山で、太田備中守の開基と伝える。

    寛文3年(1663年)川越城主松平輝綱は、父信綱の意志を継ぎ、祖父大河内金兵衛の墓所であるこの寺を 領内の新座市の野火止に移した。

     

     

     

     

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    雛人形 小道具 檜扇づくり

    雛人形はいろいろな職人さんによってつくられています。

    この度、小道具の中で親王の姫の檜扇づくりの実演が行なわれました。

    • 檜扇人形のまち岩槻 小木人形 雛人形

    檜扇に描かれている絵はめでたく品格のある松竹梅や鶴亀や波を描きます。

    扇面の天と地、そして中間に雲取りがあるもので、この雲は金、銀で繧繝彩色で縁取りをしてある。

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    いろはかるた 『 く 』 岩槻城 黒門

    歴史と人形のまち 岩槻 岩槻城城門 『黒門』

    岩槻城址公園の中に、『黒門』の名で知られる岩槻城城門があります。

    かつて岩槻城の大手門ともいわれましたが、諸資料の記す岩槻城大手門の計鹿とは異なっており、おそらくは、幕末期の岩槻城三の丸にあった城主居宅の表門の遺構でしょう。

    歴史と人形のまち 岩槻 岩槻城址 黒門木部を黒く化粧されていることから、いつしか『黒門』とよばれるようになりました。

    『黒門』は、岩槻城三の丸から浦和へと埼玉県庁が移転した時に移築され、県庁正門として使用されました。

    県の名称は、県庁所在地の所属する郡名をとるのが原則でした。

    『埼玉県』の名も、当時の埼玉郡に属していた岩槻を県庁として埼玉県が誕生したことに由来します。

    この門は、埼玉県成立の経過を象徴する建造物といえるわけです。

    なお、『黒門』はその後県知事公舎の門に転用され、昭和29年の岩槻市への委譲と岩槻市市役所通用門としての使用を経て、昭和45年、現在に移築されました。

     

    資料 : 埼玉県さいたま市教育委員会 岩槻城と城下町

    いわつき郷土文庫 第3集

    東武アーバンパークライン(野田線)「岩槻駅」より徒歩25分
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    いろはかるた 『 に 』 日光御成街道

    歴史と人形のまち岩槻 宿場町 日光御成街道

    三代将軍徳川家光が日光に東照宮を造営し、その街道筋にあたる宿場町であり、地理的には江戸から九里、そののど元にあたる岩槻の宿場町は江戸から出て最初の宿場町であった。

    岩槻は江戸幕府の大名によって統括されていたる

    岩槻の人形との関わりは東照宮の造営や修築に携わった工匠たちが、江戸への帰途、あるいは東海、近畿その他園地への帰途に立ち寄った。

    岩槻の人情深さや桐在には事欠くなかったことで、桐たんす、下駄やらを作ったと言われ、桐製品を作る際に出るおが屑が岩槻をに家業の生産日本一にする役目となる。

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    二百十日 8月31日

    2016年8月22日台風9号 小木人形前

    二百十日は立春から数えて210日目。人形のまち岩槻 小木人形 稲刈り

    この時期は台風が多く発生致します。

    ここ関東では22日には台風9号の直撃にあいました。

    今朝は田んぼに心配そうに稲の具合を見て回る農家の方々の姿があります。

    二百十日の頃は台風が多く発生するため、農作物の被害を避けたいものです。

     

     

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    8月23日は二十四節気「処暑(しょしょ)」

    8月23日は二十四節気の一つ『処暑』に当たります。

    『処暑しょしょ』とは暑さが止むという意味、暑さが十げを超えて朝夕はしのぎやすくなってまいります。鈴虫

    良く気象情報で熱帯低気圧と聞きますが、台風シーズンともなるこのころです。

    農作物も大きな被害を受けたりととても注意の要するときで気を抜けないことと存じます。

    今はホームセンターなどで早めに鈴虫を手に入れられ盛夏にもリィーンリィーンと泣いてはいますが、本来なら秋を感じさせてくれるものですねぇ~。

    七十二候しちじゅうにこう

    • 第一候 綿柎開 めんぶひらく  8月23日頃

    綿の花が咲き始める

    • 第二候 天地始粛 てんちはじめてしゅくす  8月23日頃

    天地が寒くなってくる

    • 第三候 禾乃登 くわすなわちみのる  9月2日頃

    穀物が実り始める

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