「松竹梅」吉祥文様の衣装のコンパクト飾りの二段飾りの雛人形
官女を飾る台の部分は引出タイプですので、設置・収納がとても簡単と好評です !
【商品番号】京十一番親王焼桐平台親王・柳官女付
五人飾り No2995
【サイズ】間口65cm×奥行52cm×高さ40cm
官女を飾る台の部分は引出タイプですので、設置・収納がとても簡単と好評です !
【商品番号】京十一番親王焼桐平台親王・柳官女付
五人飾り No2995
【サイズ】間口65cm×奥行52cm×高さ40cm
親王・官女は雲立涌に唐花丸の文様の有職文様
【商品番号】京十一番親王柳官女付
焼桐三段飾りセット No2992
【サイズ】間口70cm×奥行59cm×高さ69cm
鱗に宝尽くしの文様の衣装の雛人形
【商品番号】京小十番親王柳官女付
毛氈三段飾りNo2000
【サイズ】間口70cm×奥行56cm×高さ66cm
鱗文様
三角形の連続文様を鱗形とか鱗文様と呼ぶ。
鱗文様は大蛇の鱗であり、また龍(水神)の鱗でもある。
江戸時代から鱗文様は女子の厄除け、魔除けの文様として用いられる。
宝尽くし
お子様の健やかな成長を願うの衣装の雛人形
【商品番号】京小十番親王柳官女付
塗桐三段飾りセットNo3001B
【サイズ】間口70cm×奥行62cm×高さ69cm
もとは密教法具の一つ。先にとがった珠で火焔が燃え上がることもある。
これに祈ると何でも叶えられるという宝の珠のことで、如意の珠とも呼ばれます。
大きさの同じの同じ輪を円周の四分の一ずつずらしてできる図形。
四方への無限に広がることから連綿と続いて絶えないの意味を示す。
福の神の大黒天の持ち物として知られる。
振れば欲しい物が手に入り、望みが叶うという小槌。
物を打つことから敵を「打つ」に通じて吉祥文の一つ。
スパイスのグローブのこと。平安時代のはじめから舶来の香料として珍重される。
平安時代に輸入され、薬用・香料・染料・丁字油にもなり、希少価値から宝尽くしの一つになった。
悪ゃ煩悩を断ち切る知恵の剣。
着ると他人から姿が見えなくなる蓑。天狗が持っているとの伝えがある。
危険な事象から身を隠して護っていただける。
砂金や金貨を入れたもの。
絵巻物のような物を交差させて置いたもの。
昔はお経や絵巻ものが大切な宝物です。
物の重さを量る時に使うおもり、金銀で鋳で非常時に備えた。
弧状にくびれた形が文様として好まれている。熨斗(のし) 延壽の象徴。
誇張された弧を描く線が華やかな図をつくり、めでたさを表現。
土蔵の戸などに付けてある落とし鍵を外すのに用いる鍵。
江戸時代の宝尽くしに鍵が付け加わった。
優雅な有職文様『雲立涌に向鳳凰の丸』の衣装の雛人形
【商品番号】京八番親王六寸官女付
焼桐三段飾りセット No3032
【サイズ】間口100cm×奥行85cm×高さ100cm
直置きタイプのコンパクトで飾り易くまとめた官女付収納飾り
収納タイプのコンパクトな焼桐の飾り台で豪華でお飾り易い雛人形です
【商品番号】京十一番親王柳官女付
焼桐収納飾りNo1019
【サイズ】間口62cm×奥行44.5cm高さ66cm
三段飾りの焼桐仕様の収納飾りコンパクトサイズの雛人形
【商品番号】京十二番親王小柳官女付
焼桐三段収納飾り No2996
【サイズ】間口60cm×奥行55cm高さ60cm
収納飾りは飾り台と収納箱が一つで、簡単設置と思われますが、収納時はどういうことか
人形専門店スタッフにお問い合わせすることをお奨めいたします。
親王のお人形の保管には安心な桐箱に別途ご用意のセットもございます。
上品な親王収納飾りは焼桐にお任せください。
出し入れは勿論、普段のお手入れはとても楽々とママのお気に入りの人気商品です。
【商品番号】京十一番親王焼桐収納飾り
No1020セット
【サイズ】間口65cm×奥行41.5cm×高さ58cm
雛人形の作りは侮れないコンパクトサイズにまとめた収納飾り
【商品番号】京十一番親王タモ材収納飾り
No1028セット
【サイズ】間口59cm×奥行35cm×高さ54cm
可愛い優しさがあふれる塗り桐収納飾り
【商品番号】京小十番親王塗り桐収納飾り
No1021Dセット
【サイズ】間口63cm×奥行42cm×高さ57cm
奢侈取締令は、士農工商という身分差別をつけて、商人を一番低い身分に置いたが、泰平の世が続くと、商人は財を貯え奉公人を多くかかえ、社会における隠れた支配力を持つようになってくる。
当然これに目をつけるのは徳川幕府の政策で、民間のぜいたくを取り締まるおふれを度々出した。
着るもの、持ち物、遊興に至るさまざまなものに対してである。
奢侈取締令が雛に適用されたのは最初は慶安2年2月(1649年)今から約3百年前のことである。
民間の美化的傾向を取り締まったものだが、徳川家からの注文品は例外としている。
つまり民間にかぎっている。
贅を尽くした雛道具 『紫檀象牙細工蒔絵雛道具(江戸時代)』
人形にはまだそれほど高価で目に余るものはなかったようである。
しかし道具には豪華絢爛、金をかけたものが多く作られた。
現在の雛道具よりもずうっと種類も多く、成功なミニチュアであった。
金持ちの商人の娘が大名の姫君と同じようなものを作って飾っていたのでは具合がよろしくないというので摘発したのだろう。
寛文3年(1663年)元禄17年(1704年)享保6年(1721年)と取締令は四回出されているが、享保の時が最も厳しかった。それまでの取締令が、どちらかというと、ザル法で一時的にハイを追うような結果に終わっているのに対し、享保の取締は徳川吉宗自ら範をたれるというので、一切まかりならないという厳しいものであった。
一例をあげると、ひな人形の寸法は八寸(約30cm)以下とし、雛道具も黒塗りだけで、これに蒔絵をかいたり、金銀の金物を使っていけないということなどがある。
延享(1744年)に作られたもので、京都の岡田姓菱屋次郎左衛門の創案によります。
次郎左衛門雛の特徴は、面長に描いた首を整った曲線でまとめ、顔は引き目かぎ鼻の典雅な筆で全体に清新な味を表現しています。
男雛は、黒袍に、くぼみに霞の紋が浮織になっている袴をつけます。
女雛は、五衣・唐衣に裳もすそをはいています。
次郎左衛門雛の衰退は、江戸人の好みにあった江戸雛として、古今雛が登場するに及んで、全く姿を消しました。
古今雛が従来の雛と違う点は、鳳凰や薬玉の縫紋を加工したり、袖に紅綸子べにりんずを用いて色彩を豊かにしたこと、二畳台を設けて雛を据えていること、頭が写実的に精妙を究めた点があります。
立雛は紙雛とも言われるように主として紙で作られたのです。
かたちから推測して、天児、這子からきた男女一対雛人形のように見えます。
座雛は寛永(1624年)以後に作られたもので、抽象的な立雛に比べて、写実的な彩りに包まれています。
面白いのは、上巳の節句、雛遊びと、雛の対象が貴族、武家にとどまっていた頃は立雛で、それが武家から庶民の手に移って、庶民の創造から生まれたのが座雛であるということです。
しかし、座雛が作られてすぐに立雛がなくなったわけでもなく、享保(1716年)までは立雛と座雛が対等に飾られています。
そして、は座雛が主、立雛が従となり次第に衰微をたどります。