『後の更衣(のちのころもがえ)』は『後の衣替え』が今では分かり易い言葉です。
ひな人形を春と区別して秋に飾るひな人形を『後の雛』ということと同じです。
今は衣替えは年に二回、六月一日と十月一日に行います。
今では、その綿入れに代えて厚手のものを用意いたします。
『暑さ寒さも彼岸まで』と申しますが、暑さもおさまります。
このSilver weekは衣の入れ替えをしようと思います。
(岩槻工業団地内)
赤ちゃん授乳室完備
『後の更衣(のちのころもがえ)』は『後の衣替え』が今では分かり易い言葉です。
今は衣替えは年に二回、六月一日と十月一日に行います。
今では、その綿入れに代えて厚手のものを用意いたします。
『暑さ寒さも彼岸まで』と申しますが、暑さもおさまります。
このSilver weekは衣の入れ替えをしようと思います。
多くの方に 『お食い初め祝い膳』はご利用いただいていることとても嬉しく思います。
このたびは、 『お食い初め祝い膳』のおもてなしの料理があると~。良いんですが.....。 と言うご要望にお応えしての料理をご用意させていただいてます。
お孫様のご成長を喜んで下さるご両親をお迎えします。
ママの手作りでおもてなし料理を心を込めて作ります。
小木人形のお子さま行事の料理をご利用ください。
2015年 敬老の日は9月21日
もともとは9月15日でしたが、今では9月第3月曜日となりました。
老人を敬愛し、長寿を祝う日として1966年(昭和41年)に国民の祝日となりました。
聖徳太子によって、身寄りのない老人のための施設『悲田院(ひでんいん)』がこの日に建てられたという由来があります。
なかなか日頃は祖父母、ご両親様には感謝を伝えられないでいらっしゃると存じますが、この日には有難い気持ちをしっかりお届けしたいものです。
大宮八幡宮 重陽の節句 菊の被綿
九月十二日の土曜午後、新宿駅からバスで大宮町下車『大宮八幡宮』に行く。
幸せ子育て、安産、縁結び、厄除け開運の八幡様に参拝後、菊の被綿の飾られている清涼殿のロビーへと進む。
お宮詣りのご家族の姿がありました。 おめでとうございます。
菊の被綿
重陽の節句(九月九日)の行事で、前夜菊の花に花色に染めた真綿をおおって、その露や香を移しとり翌朝その綿て顔や身体を払うと不老長寿が保たれるというもので、平安時代に盛んに行われていました。
ことにこの時代の女性には菊の持つ不老・若返りの効をも信じられていた様で、紫式部が道長夫人の源倫子より菊の被綿を贈られて大感激して詠んだ歌が有名です。
菊の露わかゆばかりに袖ふれて
花のあるじに千代はゆづらむ
因みに平安時代の宮中儀礼で観菊の宴(重陽の宴)が催され、杯に菊花を酌み交わし長寿を祝い詩歌を作ったと云われ、江戸時代武家でもこの菊の花を避けにひたして飲み祝った云われています。
今年は大祭が終了する二十三日まで飾らせて頂きます。
大宮八幡宮
—– 大宮八幡宮資料紙によります。 —–
帰りはコースを変え、京王・井の頭線 永福町駅から新宿駅西口行のバスを利用しました。
大宮八幡宮 社報103号より
旧暦で言う九月九日は、新暦では十月半ば頃に当たり、菊の花盛りの頃です。
菊は秋の代表の花となっています。
春は蘭、夏は竹、秋は菊、冬は梅は四君子に挙げられます。
菊の露は長寿の薬効とされ、陰暦九月八日に菊の花に綿を被せて置き、翌九日、夜露を染み込ませた綿で体を撫でると、老いを拭い去るというものです。
江戸時代には「後のひな祭り」という風習が生まれました。
これは九月九日の重陽の節句にひな人形を飾り、大人の女性が幸せと長寿の願いをこめるというもの。
虫干しを兼ねて節句人形を再び飾ることで、傷むのを防いで長持ちさせようという知恵もふくまれています。
——- 全日本人形専門店チェーン小雑誌より ——-
後の雛
「和国の女児、雛遊びをなすこと、古き物語にも出でたり。
上巳の節に拠あるよし、三月の部に注す。
今また九月九日に賞する女児多し。
源氏物語には、尋常にも雛遊びありと見えたれべ場、重陽に翫ばんには、なほさもあるべきか。
俳諧、これを名づけて”後の雛祭”とす。
上巳に対していへるなり」 ———- 滑稽雑談 (正徳三) より
日本の女の子は雛を飾って楽しんで遊ぶことを古い物語にでています。
上巳の節句をとても楽しみ、今九月九日にも雛を慈しみ楽しむ女の子が多いです。
源氏物語にはいつも雛を飾って楽しむと言われ、重陽の節句もまた同じようになさっていたようで。
これを名づけて後の雛まつり」とします。
後の雛祭りも上巳のひな祭りも同じ行事です。
新しい年の初め、七草をお粥に仕立てて食し、一年の邪気払いをする。
1月1日は特別の日とされ、奇数の重なる日を選らばれているが1月だけは7日になっている。
三月三日=上巳の節句(桃の節句)
婦女の節句、室町時代からの供え物に゛桃花酒゛または゛白酒゛菱餅をお供えします。
貝や魚、山菜など春を楽し具を沢山使ったちらしずし
一対の貝がらだけがぴったりと合う大人になったら、良いご縁が頂けますようにとの願いをこめてはまぐりの潮汁を頂きます。
男児の成長を祝う節句
菖蒲には特別な力があると信じられ、五月五日には菖蒲湯に入ったり、菖蒲を屋根に葺いたり、悪いことが起こらないように祈ります。
粽、柏餅を食します。
七月七日=七夕の節句(星まつり)
昔、七月七日は水の神様をお迎えする行事の日でした。
棚機つ女(タナバタツメ)とい呼ばれる女の人が夜通し機を織り、織り上がると神様にお供えをして、病気、災いが無い様にと、お願いをしました。
江戸時代に町の人にも広まり、願い事を短冊に書いて、笹竹につるすようになりました。
九月九日=重陽の節句(菊の節句)
陽の数の「九」が重なることをめでたいとして『重陽』『重九』とも言う。
中国には「登高」として、野に出て丘に登り、丘の上で、長寿を祈り、菊花を浮かべた『菊の酒』を飲んだ。
邪気を払うためにグミを入れた袋を身につけて、グミの酒を飲む。
陰暦九月九日の節句。陽の数である九が重なることをめでたしとして、「重陽」「重九』という。
そのころは菊の花の盛りでもあるので、菊の節句ともいう。
中国では「登高」と称して、岡などに登り、長寿を祈り菊花を浮かべた菊の酒を飲む。
邪気を祓うためにグミを入れた袋を見につけるととも、グミの酒を飲むともむ言う。
日本においては、宮中で寒菊の宴を催し、菊酒をかわし、臣下に詩歌を作らせた。
民間では、農事に関連した祝いの行事として、九月九日、一九日、二九日を『三九』といい、『みくにちなす』として茄子を食べる地方もある。
また、暖めた酒は、寒さに向かう境目頃にあたる重陽の日に、酒を温めて無病息災をいのったものである。
「夏の大三角」
伝統的七夕の星空
天の川を挟んで織姫星と彦星、そして上弦に近い月が輝きます。
「わし座」の一等星アルタイルは「彦星」
「こと座」の一等星ベガは「織姫星」
天の川の真ん中で明るく光っている星が、「はくちょう座」の一等星デネブです。
七夕は『乞巧奠(きっこうでん)』巧みを乞う奠(たくみをこうまつり)で織物や針仕事を上手になりたいと願う中国の星まつりの行事が日本に伝わり宮中の行事となって彦星・織姫星にお供え物をして、技芸の上達を祈りました。
2015年は8月20日を中心に「明かりをけして 星をみよう」をスローガンに掲げてキャンペーンを展開します。
日 程 : 2015年8月20日(木)とその前後 (国立天文台の計算による)
「伝統的七夕」は、かつて七夕行事が行われていた本来の七夕にあたる日です。
国立天文台は、太陰太陽暦(いわゆる“旧暦”)の7月7日にちなんだかつての七夕を「伝統的七夕」と呼び、2001年から広くお知らせしています。
その日付は、二十四節気の処暑を含む日かそれよりも前で、処暑に最も近い朔(新月)の日から数えて7日目、としています。
現在使われている暦は太陽暦ですので、伝統的七夕の日付は毎年変わります。