歴史と人形のまち岩槻 久伊豆神社

久伊豆神社

埼玉県さいたま市岩槻区宮町2丁目6−55

夏越しの風鈴(なごしのふうりん)一二三の風鈴[ひふみのふうりん]

鈴の音には、罪穢れを祓い、身を清めて神を迎える音といわれています。

人形のまち岩槻 夏越の風鈴 久伊豆神社夏の風物詩・風鈴の音色をくぐることで心身を清める意味があります。

この浄めの風鈴をくぐり、『いち・にの・さん』と声をあげて、良い一日のスタートを切ってください。

 

江戸時代歴代城主の崇敬厚く、特に家康公は江戸城の鬼門除けとして祈願

今も去る千三百年前、欽明天皇の御代出雲の土師連の創建したものと伝えられる。

その後相州鎌倉扇ケ谷上杉定正が家老太田氏に命じ、岩槻に築城の祭城の鎮守として現在地に奉鎮したといわれている。

江戸時代歴代城主の崇敬厚く、特に家康公は江戸城の鬼門除けとして祈願せられた。歴史と人形のまち岩槻 久伊豆神社

神社境内は城址の一部で、元荒川が東北に流れ、市内でも数少ない貴重な社叢として知られている。

明治八年一月十一日、火災に遭い、時の城主、町民より寄進された社殿寄進有に帰し、現社殿は、その後氏子崇拝者の誠意により再建されたものである。

現在神域は次第に整い、社域はいよいよ高く神徳ますます輝きわたり岩槻総鎮守として広く人々の崇敬をあつめている。

 

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(岩槻工業団地内)

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人形のまち岩槻 花火大会

  • 人形のまち岩槻 花火大会日時

    8月16日(日)19:30〜

    ※荒天の場合は17日(月)に順延。

    2日間荒天の場合は中止
  •  会場

    岩槻文化公園(打上場所:岩槻文化公園内・岩槻区大字村国229)
  • アクセス

    岩槻文化公園:東武アーバンパークライン(野田線)岩槻駅・東岩槻駅から徒歩約40分川通公園:東武アーバンパークライン(野田線)東岩槻駅から徒歩約30分

    ※駐車場はありません。公共交通機関をご利用ください。

    ※行き・帰りとも、シャトルバスの運行はありません。

    ※川通公園の場所は、交通規制図を参照してください。

    ※18:00〜21:30の間、会場周辺で交通規制が実施されます。
  • 観覧場所
    ・岩槻文化公園:第1駐車場、第2駐車場、村国山、陸上トラック内
      ※陸上トラックは16:00から開放します。
    ・旧ゼロックス野球場跡地
    ・川通公園(岩槻区大字長宮825-5)

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岩槻城址公園でカワセミが見られます。

岩槻城址公園内で撮影されたカワセミ

暦では『立秋』を過ぎていますが、まだまだ暑いが続いています。

健やかに残暑を乗り超え、お元気にして下さい。

カワセミ青い宝石といわれるように美しい羽根を持つ華麗な鳥です。

翡翠の由来ともなっているほどの鳥です。人形のまち岩槻 岩槻城址公園

清流に住むといわれていますが、岩槻城址公園内にある池でも姿を見ることができます。

多くの人たちの憩いの場ともなっています。

このカワセミの写真はこの城址公園で撮影されたものをいただいたものです。

 

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歴史と人形のまち 岩槻へようこそ 城址公園

岩槻城址公園

さいたま市岩槻区太田3-4

岩槻城の曲輪の部分に当たる。公園内には、黒門と呼ばれる岩槻城の表門が保存されている。

また、黒門と向かい合うように人形塚があります。

公園内桜の名所です。

人形関係のイベントも開催されます。人形のまち岩槻 人形供養祭

  • 人形のまち岩槻 流しびな

    3月3日直前の日曜日 ※雨天決行
  • 人形供養祭

    11月3日(文化の日)   ※雨天決行

岩槻の城址公園の園内の八つ橋がかけられた菖蒲池には今のこの時期は睡蓮が咲いています。

庭園には欠かせない柳が池を引き立たせていましたが、今ではその柳も姿が無くなりさびしいですがねぇ~。

東武アーバンパークライン(野田線)「岩槻駅」より徒歩25分


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歴史と人形のまち 岩槻へようこそ 『杉並木』

岩槻は江戸から九里、そのノド頭に当たる日光御成街道の宿場であった。

日光に通じる御成街道 杉並木がある。

岩槻城下の繁栄の名残りが感じられる。

三代将軍家光が日光に東照宮を造営し、その街道筋に当たる宿場町であり、城下町の岩槻は想像以上のにぎわいを見せていた。

東照宮の造営は寛政元年に始まり、寛政13年に終わるが、その間全国から集まる工人も多く、木材などの資材を運搬する人馬の往来で賑わい、完成後も参拝の客はあとをたたず、『日光見ずして結構というなかれ』といわれるほどの名所になって、死ぬまでには一度は日光を見ておきたいものだと、全国から引きも切らずに老若男女がやってきたし、将軍の主催する祭にも各地の大小名がはせ参じた。

とくに何年かごとに行なわれる東照宮の修築には、全国から有名無名の工品がたくさん集められたから、地方都市にはめずらしく人々の交流もさかんであった。

その杉並木のある御成街道を少し進むと東武動物公園がある。

29日、東北北部と九州北部がようやく梅雨明けした。との発表がありました。

すべての地域が梅雨明け一年中で一番暑い時期です。

ところで、小木人形から車で20分くらいの距離に東武動物公園がございます。

この暑い夜をお子さまと動物園も良いでしょうね。

ライトアップされた夜の動物たちを観察してみるのも楽しいです。

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歴史と人形のまち 岩槻へようこそ 『金剛院』

岩槻の文化財となっている金剛院仁王門の金剛力士像

金剛院

埼玉県さいたま市岩槻区末田1899

このお寺は、奈良長谷寺の末寺とされ金龍山金剛院妙音時と称し、本尊に虚空菩薩が祀られています。

また、僧侶の学問所となっていたと伝えられています。

仁王門は、元禄10年に徳川綱吉の生母桂昌院より寄進されたもので、両側に金剛力士像が安置されています。

この像は力みなぎる筋肉や均整のとれた姿勢など、境内を守護する力強い特徴がよく表れています。

—–  市報さいたま 岩槻区版より抜粋  —–

 

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歴史と人形のまち 岩槻へようこそ 『武蔵第六天神社』

この神社の創建は天明2年6月15日の御鎮祭と伝えられています。

一陽来福を祈る参拝者が多いところです。

『武蔵第六天神社』

さいたま市岩槻区大戸1752番地

その昔、岩槻城下の繁栄を極めたる当時、江戸城の鬼門寺として有名な華林山慈恩寺や、日光廟に往来した諸人は、日光街道を曲げて現在の元荒川沿いを下って岩槻城下の第六天神社に奉拝したという記録が残されている。

また、戦国の世に、岩槻城主太田氏の将兵の信仰を得て、岩槻城下に暮らしを立てていた武士や町民や商人、農村の人々が、この草深い祠に奉拝して霊宝を賜ったといわれている。人形のまち岩槻 武蔵第六天神社

殊に農民の豊饒為福、商人の商売繁盛を図るには第六天神社の御神札がなくてはならないぬものであった。

年に一度、向かい天狗の絵馬と神札をおし戴いて家郷に持ち帰り、家内安泰・作物豊饒・災厄除去を祈れば、その霊験顕れて、秋の実りの収穫となり再び御礼に参り、年々信心者が殖えて、今日の第六天神社の大きな基盤となったのであります。

境内には、樹齢数百年と言われる藤の花をはじめ、牡丹・紫陽花・躑躅・西洋藤と言われるキングサリの花が咲き乱れ、元荒川の岸頭には桜並木が続き、埼玉の自然百選、岩槻の観光名所として風光明媚なお宮であります。

又、門前には、鯰の天麩羅、鰻の蒲焼き、鯉料理等で有名な老舗川魚料理店が立ち並んでおります。

—— 武蔵第六天神社資料の抜粋 —–

東武アーバンパークライン 岩槻駅下車
岩槻駅より朝日バスをご利用ください。
「越谷駅西口」行き又は「水上公園」行きでバス停「巻の上」にて下車徒歩10分

 

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歴史と人形のまち 岩槻へようこそ 「岩槻城大構」

江戸時代初期の『武州岩槻城図』に愛宕神社が記されている。

「岩槻城大構(いわつきじょうおおがまえ)」

埼玉県さいたま市岩槻本町3丁目21−25

戦国時代の末から江戸時代の岩槻城下町は、その周囲を土塁と堀が囲んでいたが、この土塁と堀を大構(外構・惣構・土居)という。

城下町側に土塁、その外側に堀が巡り、長さは約八kmに及んだという。

 

この大構は、天正年間(1580年頃)、小田原の後北条氏が豊臣政権との緊張が高まる中、岩槻城外の町場を城郭と一体化するため、築いたものとされ、白の防御力の強化を図ったほか、城下の町場の保護にも大きな役割を果たした。

廃城後は、次第にその姿を消し、現在は一部が残っているにすぎず、愛宕神社が鎮座するこの土塁は大構の姿を今にとどめる貴重な遺構となっている。

東武アーバンパークライン(野田線)「岩槻駅」より徒歩3分

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歴史と人形のまち 岩槻へようこそ 「龍門寺」

龍門寺山門

さいたま市岩槻区日の出町9-67

寄居町正龍寺の旧末寺で山号を玉峰山と言い、本尊に釈迦如来が祀られています。

境内墓地には徳川家重の側用人だった岩槻城主の大岡忠光の墓があります。歴史と人形のまち岩槻 龍門寺

忠光は江戸南町奉行として活躍した大岡忠相と縁戚に当たり、個人的にも信仰があったと伝えられています。

また、その大岡氏から寄進されたと伝えられる鎌倉時代の刀工助真の作品である名刀があり、国指定の文化財となっています。

 

さらには、慈覚大師の作と言われる不動明王像など多くの文化財が残されています。

—– 市報さいたま 岩槻区版より抜粋 —–

 

東武アーバンパークライン(野田線)「岩槻駅」より徒歩20分

 

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歴史と人形のまち 岩槻へようこそ 「岩槻城城門(黒門)」

人形塚から見る岩槻城城門(黒門)

岩槻城城門(黒門)

さいたま市岩槻区太田3-4

岩槻城(別名:白鶴城)は室町時の末に築かれ、江戸時代には江戸北方の守りの要として、有力譜代大名の居城となりました。

この城門は、岩槻城の城門と伝えられており、明治時代には埼玉県庁や県知事公舎の正門として、さらには旧岩槻市役所の通用門なとどして、移転、利用されてきました。歴史と人形のまち 岩槻 岩槻城址 黒門

城門は木材部分が黒く塗られていることから、「黒門」の名で親しまれています。

岩槻城址公園には、この他にも文化財として、岩槻城跡や岩槻城裏門、岩槻城跡のケヤキがあります。

—— 市報さいたま 岩槻区版より抜粋 ——

見所:柱や組財、飾り金具などに、重厚な城建築の面影を伝えている。

岩槻城関係の数少ない現存遺構として貴重なもの。

東武アーバンパークライン(野田線)「岩槻駅」より徒歩25分

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