このうだるような暑い今日は岩槻工業団地事業協同組合主催の『納涼大会』が開催されます。
場所 岩槻工業団地記念公園 古ケ場グランド
PM5:30 開場
PM6:20 開会式
PM7:10~ イベント開始
PM9:00 閉会式
夏の暑さを忘れて夕涼みを仲間と一緒に楽しむのもいいですね。
赤ちゃん授乳室完備
このうだるような暑い今日は岩槻工業団地事業協同組合主催の『納涼大会』が開催されます。
場所 岩槻工業団地記念公園 古ケ場グランド
PM5:30 開場
PM6:20 開会式
PM7:10~ イベント開始
PM9:00 閉会式
夏の暑さを忘れて夕涼みを仲間と一緒に楽しむのもいいですね。
早稲米の穂が出ています ♪
昨日28日には梅雨明けとなりました。
田んぼでは、苗が伸びて青々と育っています。
早いところでは、穂が出ている田んぼを目にします。
また、庭先・窓辺では涼を楽しけグリーンのカーテンゴーヤ見かけます。
この暑い中、緑色で元気をいただけますねぇ~。
ちょっと私は田んぼ道を散歩したくなります。
皆様もますます暑さ厳しくなってまいりますので、グリーンを眺めて一息してみてください。
画像の雛 享保雛(さいたま市所蔵 笛畝コレクション)
人形のまち岩槻で『 雛めぐり 』を楽しみませんか
岩槻は室町時代から栄えた城下町
日本一名高い人形の産地です
今も数多く活躍する職人さんたちの作品や商店に伝わる古い人形などを数多く飾ります
期間 : 2月27(土) ~ 3月13日(日)
場所 : さいたま市・岩槻駅東口 周辺商店街
主催 : 人形のまち岩槻 まちかど雛めぐり実行委員会
連絡先 :人形のまち岩槻 まちかど雛めぐり実行委員会事務局
電話 070-1274-4971
五月人形:3月6日から
期間中は無休で営業いたします。
親の願い 『逞しく、賢く、健やかに—–。』を鎧兜に籠めて祝う五月人形は日本の伝統的な行事です。
丹精込めて作り上げた重厚かつ華麗な鎧兜を人形のまち岩槻 小木人形は沢山ご用意いたし、皆様のご来店を心よりお待ち申し上げます。
五月人形カタログサイトをご笑覧頂きたくご案内いたします。
ひな人形:2月24日まで
五月人形:3月6日から
期間中は無休で営業いたします。
つつがなくお正月をお迎えのことと存じます
今年は皆様に素敵な年になりますよう心からお祈り申し上げます
これからも四代目店長をはじめスタッフ一同まこと込めて対応させていただきます
人形のまち岩槻へお越しには是非 小木人形へお立ち寄りくださいませ
お待ちいたしております
新年はひな人形:1月3日~2月24日
(12月30日~1月2日はお休みとなります)
期間中は無休で営業いたします。
2016年度 雛人形は新年1月3日より営業いたします。
さいたま市所蔵品展
童顔・髭面・男前
天神さまも十人十色
さいたま市が所蔵する故西澤笛畝の人形コレクションには、日本各地で製作された天神人形が270体以上あり、日本有数の天神コレクションとなっています。
菅原道真という実在した人物の霊威を鎮める信仰として平安時代に端を発した天神信仰ですが、江戸時代には、学問・天候・農耕・芸能の成就を願う庶民信仰として展開しました。
賢い子どもに育つようにとの親たちの願いを映し、道真の姿をかたちどった天神人形が各地で作られました。
都市が明ければ、受験シーズンがはじまり、天神さまのシンボルである梅の蕾もほころびます。
子どもにゆかりの深い学問の神となり、親しみやすい姿となった天神さま。
四季の春、人生の春。
和やかな姿に、待ち遠しい春を感じてください。
資料 配布物 『春を待つふるさとの天神さま』抜粋
場所 さいたま市プラザノース 2階ギャラリー1・2
日時 12月12日(土)~12月25日(金)
お問い合わせ さいたま市文化施設準備室 ℡048-829-1221
主催 さいたま市
観覧無料
羽子板・破魔弓:11月1日~12月29日
ひな人形:11月1日~2月24日
(12月30日~1月2日はお休みとなります)
期間中は無休で営業いたします。
2016年度 雛人形予約会の開催中
初正月飾り、破魔弓・羽子板も同時開催中
岩槻城城門『黒門』の名で親しまれています。
この城門は、岩槻城の城門と伝えられており、明治時代には埼玉県庁や県知事公舎の正門として、さらには旧岩槻市役所の通用門なとどして、移転、利用されてきました。
明治維新の頃の岩槻藩は、官軍の進入に対して『勤王一途を誓い、国力相応の御用を勧めたい』と申し、治安維持のための兵を差し出すなど、大きな混乱はなかったと伝えられています。
その後の廃藩置県においても岩槻が如何に中心的な「まち」であったかを語るに相応しい話として、府県統合によって「埼玉県」の県庁所在地を “岩槻” に定められたことです。(1871年明治4年)
たとえ40日の短い期間ではありましたが、芳林寺の本堂に仮庁舎が設けられたと記録に残っています。
しかし、適切な建物がなかったため浦和町の旧浦和県庁舎に移され、以降、浦和町が埼玉県の県庁所在地になりました。
終戦後、地方制度は原則的に国家の統制からはずされたため、各自治体は財政危機を深めることになりました。
この窮乏や財政、税制面から小規模町村を救うための合併による改革案「シャウブ勧告」を受け制定された「町村合併促進法」によって、昭和29年5月岩槻・川通・柏崎・和戸・新和・慈恩寺・河合の一町六村が合併し新しい岩槻町となり、昭和29年7月埼玉県内で13番目になる「岩槻市」が誕生しました。
奇しくも全国で13番目に政令都市となった「さいたま市」と「岩槻市」は合併協定を経て、岩槻市制50周年の節目の年の平成17年4月1日に合併いたしました。
これにより人口118万人の新生「さいたま市」となり ” 岩槻 “ は「さいたま市岩槻区」としてスタートしました。
区民がこれまで培ってきた『人形のまち』 『城下町』として歴史や文化、そして豊かな全など固有の貴重な財産は、「さいたま市」が目指す ” さいたまらしさ ” を醸成するために一役を担うものと期待されています。
資料 来て見て魅せる 城下町いわつき (岩槻区ガイドブック) 抜粋
羽子板・破魔弓:11月1日~12月29日
ひな人形:11月1日~2月24日
期間中は無休で営業いたします。
2016年度 雛人形予約会の開催中
初正月飾り、破魔弓・羽子板も同時開催中
歴史と人形のまち岩槻 児玉南柯による私塾 遷喬館
江戸時代に入り日光東照宮が造営されると、日光御成街道が整備され岩付は更に城下町、宿場町として繁栄しました。
また、反乱を繰り返してきた “荒川” や “利根川” 、 “綾瀬川” を幾度もの大工事によって流れを替え、洪水防御と新田開発を促進し、急増する江戸の人口に対して食糧の供給基地としての役割を果たすようになりました。
江戸の長きにわたる国家の安定は、岩槻のみならず各地にいろいろな文化を生み発展させてきました。
岩槻の代表的な伝統産業に、人形と組みひもがあります。
人形の誕生には、地場産の桐の粉と日光東照宮を作った宮大工の技が寄与したと言われています。
また岩槻には歴代城主による手厚い庇護のもと、岩槻総鎮守の久伊豆神社(宮町)をはじめ数々の由緒ある神社仏閣が、城下町としての歴史を今に伝えています。
岩槻を表現する言葉に「岩槻にすぎたるものが二つあり、児玉南柯と時の鐘」があります。
『児玉南柯』は遷喬館という私塾を開き子弟の教育に力を注ぎました。
『時の鐘』は、1671年岩槻城主阿部正春が渋江口に設置し、後に改鋳を経て現在に伝わるものです。
その音色は、今でも区民に親しまれています。
資料 来て見て魅せる 城下町いわつき (岩槻区ガイドブック) 抜粋
羽子板・破魔弓:11月1日~12月29日
ひな人形:11月1日~2月24日
期間中は無休で営業いたします。
2016年度 雛人形予約会の開催中
初正月飾り、破魔弓・羽子板も同時開催中
岩槻周辺の地形は、台地と海が複雑に入り組み、起伏に富んでいたものと考えられています。
太古には、海が台地まで迫っていたことを示す『貝塚』跡が「国指定史跡の真福寺貝塚」に、さらに弥生時代の集落跡が、馬込、諏訪山遺跡など、谷津と言われる地形の場所に残っています。
平安時代になると武士団が現れ、岩槻周辺は武蔵七党の一族『野与党』の活躍の地となり、その勢いは戦国時代まで続きました。
鎌倉時代には、鎌倉から東北地方へ至る『鎌倉街道奥大道』が通り、要衝の地としてその重要性を増してきました。
『岩付』という地名の文字として現れるのは室町時代に入ってからで、1380年の合戦を記録した古文書に初めて明記されています。群雄割拠の戦国時代に入ると、関東公方(山内上杉氏)は、古河公方(足利氏)との防衛拠点として荒川(現在の元荒川)沿いに『岩付城』を築いたのは、1457年と言われています。
『岩付城』の築城については諸説がありますが、1567年三船山合戦で太田氏資が戦死するまでは、代々太田氏が城主をつとめました。
その後は、北条氏が支配するようになりました。
更に時代は進み、豊富秀吉は九州を平定するや関東攻略をもくろみました。これに対して、「岩付城」の周囲の防御のための『大構え」と言われる高さ約4m、幅約8m、全長7kmに及ぶ ゛土塁゛ を整備したのは1587年でした。
1590年、秀吉は小田原城を包囲するとともに、関東一円の支城をほとんど攻め落とし、「岩付城」も落城しました。
その後、領地替えをした徳川家康が関東を治めることになり、それに伴い、以来徳川家の親藩・譜代が岩槻城主を勤めるようになりました。資料 来て見て魅せる 城下町いわつき (岩槻区ガイドブック) 抜粋
羽子板・破魔弓:11月1日~12月29日
ひな人形:11月1日~2月24日
期間中は無休で営業いたします。
2016年度 雛人形予約会の開催中
初正月飾り、破魔弓・羽子板も同時開催中
人形のまち岩槻 人形づくりの歴史
江戸時代初期、日光東照宮の造営に携わった工匠の一部が、御成道の宿場町であった岩槻に留まり、人形作りを手掛けたのが始まりと伝えられています。
また、仏師恵信が、桐のおがくずと正麩糊と岩槻の水を混ぜ合わせて、発色効果の鮮やかなものを考案しました。
その技術を生かして頭づくりが始まったとのことです。
その後、文化・文政年間に橋本重兵衛が、『かみしも雛』を考案するなど多くの人形師が技術の向上に努め、幕末頃には、岩槻藩の専売品に指定されるほど重要な産業になりました。
明治以降、震災や戦争による中断など困難な時代もありましたが、品質、技法はますます向上し、美術工芸品として価値も認められた人形は、多くの熟練した職人の技に支えられてきました。
人形は、頭づくりにはじまり、衣装をつけて組み立てられるまで多岐にわたった専門職人の高度な技術の結晶といえます。
現在、「伝統工芸品」として認可を受け、人形製造事業所数が日本一と言われるようになり、『人形のまち岩槻』という地位を確固たるものにしました。
資料 来て見て魅せる 城下町いわつき (岩槻区ガイドブック) 抜粋
羽子板・破魔弓:11月1日~12月29日
ひな人形:11月1日~2月24日
期間中は無休で営業いたします。
2016年度 雛人形予約会の開催中
初正月飾り、破魔弓・羽子板も同時開催中