今日は祝日『体育の日』各地で運動会が行われたことでしょう。
武蔵一宮氷川神社では七五三のお祝いの参拝者も多かったようです。
さて、本日は 『特別展 狩野派と橋本雅邦』展へ出でかけてまいりました。
橋本雅邦 明治30年(1897) 年ころ 神奈川県立歴史博物館蔵
大小の龍を描いた金地屏風。金に白と黒という限られた色いで構成されたシンプルな画面です。
蕨にも似た波は、同時期の『昇龍図』にも見られます。
明治20年代までは山水画で空間表現を試みた雅邦ですが、この頃には空間表現をさえぎるような金地の作品が制作され、その一連の作品と考えられます。
川越の画宝会会員 高橋幸助(1867~1934)の旧蔵品
花鳥図 狩野栄信(ながのぶ) 文化9(1812) 板橋区立美術館蔵
太湖石(たいこせき)紅白と淡い桃色の花を咲かせた牡丹、群青で塗りつぶした鮮やかな背景に配した。
画面上部には蝶が3匹、太湖石には番(つがい)とおぼしき小鳥が2羽描かれます。
群青の背景、牡丹の描写からは当時舶載された中国画の積極的な学習がみられ、栄信が時代に対応した多様な絵画制作を行っていたことをうかがわせます。
・・・・・・・・博物館館内作品説明より・・・・・・・
橋本家
橋本家はもとは京都出身といわれ、雅邦の曾祖父栄喜(?~1794)は松平周防守家に仕えました。
栄喜は木挽町狩野家6代目の狩野典信(みちのぶ)に入門し、以後橋本家は代々木挽町狩野家を師としました。
雅邦の祖父の伊貞栄信は7代目養信のもとで務め、師から『一字拝領』したことがわかります。
父養邦はもとは淀橋(現在 東京都新宿区)の米商の子として生まれ画を好み狩野家に出入りしたようです。
9代目養信(おさのぶ)が婿養子に推し養信の門人となりました。
この橋本家に誕生した雅邦もまてた、弘化3(1846)年木挽町狩野家9代目養信のもとへ入門し10代目雅信(ただのぶ)に画技を学びました。
・・・・・・・・博物館館内作品説明より・・・・・・・
埼玉県立歴史と民族の博物館では 『埼玉じてんしゃ物語』も同時開催中!!
埼玉県は、県民一人当たりの自転車保有台数が全国1位、また多くの自転車メーカーが所在し、生産台数も全国有数です。
さらに江戸時代に現・本庄市の村役人の庄田門弥が、世界最古の自転車ともいわれる『陸船車』を発明したという記録が残っています。
・・・・・・・・博物館館内資料より・・・・・・・
(岩槻工業団地内)
赤ちゃん授乳室完備