歴史と人形のまち 岩槻へようこそ  「岩槻藩 遷喬館」

岩槻藩 遷喬館 (さいたま市岩槻区本町4-8-9)

遷喬館(せんきょうかん)は、岩槻藩に仕えていた儒者・児玉南柯(こだまなんか)が完成11年(1799年)に開設した私塾で、後に廃校となりました。senkyoukan2-600

最盛期には梅林を伴った敷地に武芸稽古所や南柯の自宅、観望台なども設けられていました。

現在まで残っている藩校は、埼玉県内では遷喬館のみで、昭和14年に件の史跡に指定されました。

遷喬館という名前は「詩経」の「出自幽谷遷于喬木」という一節に由来したもので、「学問を欲し友を求める」ことを「鳥が明るい場所を求めて暗い谷から高い木に飛び遷(移)る姿に例えたものです。

「ここで学ぶ子供たちに高い目標をもってほしい」という南柯の願いが込められたものと思われます。



東武アーバンパークライン(野田線)「岩槻駅」より徒歩7分
―——- 市報さいたま 岩槻区版より抜粋 ——-

 

五月人形はじめてくらぶ

人形のまち岩槻 小木人形 カタログサイト雛人形・五月人形 人形のまち岩槻 小木人形

(岩槻工業団地内)

赤ちゃん授乳室完備 

歴史と人形のまち 岩槻へようこそ  「時の鐘」

時の鐘(さいたま市岩槻区本町6-2-28)

岩槻の『時の鐘』は、四里四方に響きわたっていたといわれ、「岩槻にすぎたるものが二つある 児玉南柯と時の鐘」とうたわれるほど岩槻の人々の誇りになっています。tokinokane2-450

県内には川越や行田にも再鋳された鐘はありますが、岩槻の「時の鐘」が最も古いものです。

寛文11年(1671年)に岩槻城主阿部正春が渋江口に設置し、場内や城下の人々に時を知らせていましたが、現存するものは、享保5年(1720年)に時の城主永井直陳(なおのぶ)が改めて造り直したものです。

鐘は旧藩士の方が代々一日も欠かさず、毎日朝夕6時についていましたが、現在では自動化され、6時・正午・18時に変わらぬ美しい音色で時を知らせています。

東武アーバンパークライン(野田線)「岩槻駅」より徒歩10分
―—–  資料  市報さいたま 岩槻区版  ———–

koboku-ani雛人形・五月人形 人形のまち岩槻 小木人形

(岩槻工業団地内)

赤ちゃん授乳室完備