城下町の岩槻 人形のまち岩槻の歴史 ②

歴史と人形のまち岩槻 児玉南柯による私塾 遷喬館

人形の誕生には、地場産の桐の粉と日光東照宮を作った宮大工の技が寄与したと言われています。

江戸時代に入り日光東照宮が造営されると、日光御成街道が整備され岩付は更に城下町、宿場町として繁栄しました。

また、反乱を繰り返してきた “荒川” や “利根川” 、 “綾瀬川” を幾度もの大工事によって流れを替え、洪水防御と新田開発を促進し、急増する江戸の人口に対して食糧の供給基地としての役割を果たすようになりました。

江戸の長きにわたる国家の安定は、岩槻のみならず各地にいろいろな文化を生み発展させてきました。

岩槻の代表的な伝統産業に、人形と組みひもがあります。

人形の誕生には、地場産の桐の粉と日光東照宮を作った宮大工の技が寄与したと言われています。

また岩槻には歴代城主による手厚い庇護のもと、岩槻総鎮守の久伊豆神社(宮町)をはじめ数々の由緒ある神社仏閣が、城下町としての歴史を今に伝えています。

岩槻を表現する言葉に「岩槻にすぎたるものが二つあり、児玉南柯と時の鐘」があります。

『児玉南柯』は遷喬館という私塾を開き子弟の教育に力を注ぎました。

『時の鐘』は、1671年岩槻城主阿部正春が渋江口に設置し、後に改鋳を経て現在に伝わるものです。

その音色は、今でも区民に親しまれています。

 

 資料 来て見て魅せる 城下町いわつき (岩槻区ガイドブック) 抜粋

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