歴史と人形のまち岩槻久保宿通りを散策しているとこんなものを見つけます。日光御成街道岩槻藩高札所
誰が書いたのかわかりませんが、手書きで書かれた説明を書き添えておきます。
主に江戸時代 幕府や藩から法令は名手通じて村の人々に伝えられたり木の札に書いて決められた場所に掲げられました。
高札を掲げた場所を高札場と言いました。
人々の集まる道の辻舟乗り場の橋のたもと、宿場や村々には必ず高札場が設けられていました。
有名な高札場は江戸日本橋品川側岸、京都三条大橋のたもと全国数千か所もありましたが、現在現地に復元されているのは中山道妻籠粛、甲州街道府中宿等があります。
ここでは日光方面初めての辻、左側問屋場の前にありました。
五代将軍綱吉の『生類憐みの令しょうるいあわれみのれい』が掲げられました。
岩付藩でも犬小屋が設けられました。
1550年頃、問屋場といやば旅人の荷物を次の宿場まで運ぶ通信業務をするため馬役人をそろえた場所。
その経費は地元で間口に応じて負担をしました。
ペリーの黒船来航を会津藩等に伝えました。
赤ちゃん授乳室完備