10月11日は秋の収穫に感謝しながら月を愛でる風習「お月見」は「豆名月」 「栗名月」。
十五夜が別名「芋名月」と呼ばれるに対して十三夜は「豆名月」 「栗名月」と呼ばれます。
十五夜に月見をして十三夜にしないと「片月見」と言って嫌われていたそうで。
破魔弓・羽子板、雛人形は2019年11月1日オープン予定です。
赤ちゃん授乳室完備
十五夜が別名「芋名月」と呼ばれるに対して十三夜は「豆名月」 「栗名月」と呼ばれます。
十五夜に月見をして十三夜にしないと「片月見」と言って嫌われていたそうで。
破魔弓・羽子板、雛人形は2019年11月1日オープン予定です。
「重陽の節句」旧暦の9月9日は、新暦の10月半ば、菊の花の盛りの頃です。
江戸時代になると、五節句の一つとして『菊の節句』として一般に広まりました。
十月一日に行う衣替えを『後の衣替えのちのころもがえ』と同じく
「後の雛」
そして秋の収穫、敬老、長寿を祝うなど、実りの多き一年と人生に感謝する、秋。
春の一度きりではなく、「大人のためのひな祭り」として楽しみください。
重陽の節句に重ねた「後の雛」は桃の節句(ひな祭り)で飾った雛人形を、半年後虫干しを兼ねて再び飾り、健康、長寿、厄除けなどを願う風習。
大切なお雛様を半年後に出して虫干しをすることで、痛みを防ぐという暮らしの知恵でもありました。
資料 一般社団法人 日本人形協会より
破魔弓・羽子板、雛人形は2019年11月1日オープン予定です。
京都今出川堀川にある尼寺で、俗に人形寺と呼ばれるのは、人形塚の前で盛大な人形供養の祭りがおこなわれることと、人形の名品が展示一般公開されるからです。
宝鏡寺は今から約六五〇年ばかり前の光厳天皇(1331年)の皇女華林恵厳禅尼の開山で臨済宗の門跡寺院として中世の京都で栄えた位の高い寺である。
歴代皇女方が出家入山されたことから『百々御所どどごしょ』とも呼ばれ、若い皇女を慰めるために、御所から立派な人形が贈られたという。
そうした由緒ある人形がこの寺にはたくさん残されていて、春三月と秋十月に一般公開される。
また人形塚は寺内に入った右側に作られており、故武者小路実篤の詩
「人形よ 誰がつくりしか 誰に愛されしか 知らねども 愛された事実こそ 汝が成仏の誠なれ」
がきざまれている。
この人形塚の前で、盛大な人形供養祭が行なわれる。
開催日 10月14日
時間 10:30~12:00
受付 人形供養祭にお納めの人形の受付は、当日10:00~10:30までとなっております。
破魔弓・羽子板、雛人形は2019年11月1日オープン予定です。
昼と夜の長さがだいたい同じとなる秋分の日(九月二十三日)を中心として、その前後三日ずつ合わせる七日間を『秋の彼岸』といいます。
仏教の世界には『西方浄土(西の方角には苦しみのない世界=極楽浄土の世界)があると考えていました。
私たちは御先祖さまを偲ぶ尊い機会です。
『ありがとうございます。』と心からお唱えさせていただきます。
そこで、本日は
産まれて百日目、地方によっては百十日目か二百日目に祝うぎょうじで「この子が一生食べ物に困らないように」という願いが込められた儀式です。
「おくいぞめ」ともいいます。
お祝いに使う食器は新しく整えます。
小さな御飯茶碗、おわん、お箸などの一式の御膳です。赤飯に尾頭つきの鯛を附けます。
赤ちゃんには食べさせるまねをするだけです。
その役目は長寿にあやかるようにとの願いから近親者のなかで長寿の人に頼みます。
この儀式は順調に育ってきた赤ちゃんが正式に家族、親族に仲間入りをする意味を持っているので、「お箸ぞろえ」の祝宴には両親と父母、母方をお祝いします。の新関を招いて、赤ちゃんの成長をお祝いします。
お子様が氏子入りをする儀式になりますから、これから住む土地の氏神様にお参りします。
お宮参りの日は地方によっては違い、生後五十日目とか百日目というところもあります。
最近は三十日頃に行なわれるのが多くなりました。
あまり暑い日、寒い日は避け、気候のよい日を選ばれるのが良いでしょう。
赤ちゃんの祝い着は無地一つ身の着物に男児なら紋付の熨斗目、女児なら友禅の祝い着をかけ、赤ちゃんを抱いた人の背中で紐を結び、この付紐にお守り袋を下げます。
付き添え人は、ご夫婦だけでも良いが‥‥‥
近くに父親のご両親がいれば、おばあちゃんが抱いて焼きます。
赤ちゃんに正装の祝い着を着せた時、母親は正装ですが、父親はダークスーツで良いでしょう。
お礼参りは、お宮参りの服装で出産を祝って下さった仲人さん、親戚の家にお礼のあいさつに行きます。
この時内祝いの品を持参する。
お宮参りのあと、あいさつに訪れた場合は子供に犬張子やでんでんたいこなどのおもちゃを祝い着の付紐に結び、ぶら下げてあげます。
もし用意がない場合は「犬の張子のかわりよ」と言って現金をおひねりにして渡します。
雄を鴛(えん)、雌を鴦(おう)といい、鴛鴦は雄雌が仲がとても良く常に一緒にいることから夫婦和合に例えられています。
鴛鴦は初秋にいろ美しく鮮やかな冬羽根となり、翌春までのままでいます。
現在も祝儀の晴れ着の着物や帯に使われています。
私たちが良く口にすることわざに「「鶴は千年亀は万年」がございます。
日本の正倉院にもペルシャから中国までの広い地域に及ぶ花喰鳥が残っています。
鳥は口に綬帯じゅたい、瓔珞ようらく、宝相華、枝、花などをくわえた鳳凰、鴛鴦、尾長鳥、鶴などがあります。
それにならって日本独自の花喰鳥へと形を変えて来たものを見られます。
秋の奈良の正倉院展は『御即位記念 第71回 正倉院展』
ポスターの上の部分にあります奈良正倉院展の宝物の中に花や真珠の首飾りを銜えていくわえる鳥がございます。
こんな愛らしい花喰鳥が日本の平安時代後期に鶴が若松を喰えて飛んでいる姿へと変身しました。
1966年に「としよりの日」が「敬老の日」と改名され、国民の祝日となりました。
干支が一回りし生まれた年の干支に戻り、「もう一度赤ちゃんのような力を頂いて、長生きできますように。」と願い~赤の頭巾にちゃんちゃんこを贈ります。
中国の詩人杜甫が70歳まで生きることは稀なことといったことから。
「人生七十古稀なり」からついた名称。
「喜」の草書体が「七十七」に読めることから。
「傘」の略字が八十に見えることから。
「米」の字を分解すると「八」「十」「八」になることから。
「卒」の旧字体「卆」が九十と読めるから。
「百」から「一」の字を取ると「白」となることから。
長寿を上・中・下に分け、最も長いことからつけられました。
因みに80歳を中寿、60歳を下寿と言われます。
綺麗な秋の月を武将の鎧兜に重ねてみましょう。
太陽・月・星と天文に祈りこめ兜・旗印に事様々な思いをかけ、形にしてきました。
太陽・月へ思いは密教にる日天・月天の捉え方もあるようです。
また、聖徳太子が仏教に篤く帰依したことはご承知のとおりですが、多くの武将たちも太陽、月にと心の思いを託してきたとも聞きます。