旧暦では、七月から九月までが『秋』に当たります。その真ん中が八月なのです。
この八月十五日の満月を『中秋の名月』とし、収穫を祈り、お月見をするものです。
『月々に月見る月は多けれど、月見る月はこの月の月』という言葉あそびの歌に歌われている月も八月を指しています。
一年で一番に美しい月とされる安芸のの月には月見団子、里芋、果物などを秋の七草とともに供えます。
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旧暦では、七月から九月までが『秋』に当たります。その真ん中が八月なのです。
『月々に月見る月は多けれど、月見る月はこの月の月』という言葉あそびの歌に歌われている月も八月を指しています。
一年で一番に美しい月とされる安芸のの月には月見団子、里芋、果物などを秋の七草とともに供えます。
陽の数である九が重なることをめでたしとして、「重陽」「重九』という。
そのころは菊の花の盛りでもあるので、菊の節句ともいう。
江戸時代になって、重陽の節句は五節句の一つになり、藩主は登城してお祝いし、庶民は菊酒を飲んで、栗ごはんを食べる風習になりました。
重陽の節句(九月九日)の行事で、前夜菊の花に花色に染めた真綿をおおって、その露や香を移しとり翌朝その綿て顔や身体を払うと不老長寿が保たれるというもので、平安時代に盛んに行われていました。
ことにこの時代の女性には菊の持つ不老・若返りの効をも信じられていた様で、紫式部が道長夫人の源倫子より菊の被綿を贈られて大感激して詠んだ歌が有名です。
紫式部日記
菊の露わかゆばかりに袖ふれて 花のあるじに千代はゆづらむ
新しい年の初め、七草をお粥に仕立てて食し、一年の邪気払いをする。 1月1日は特別の日とされ、奇数の重なる日を選らばれているが1月だけは7日になっている。
婦女の節句、室町時代からの供え物に゛桃花酒゛または゛白酒゛菱餅をお供えします。
貝や魚、山菜など春を楽し具を沢山使ったちらしずし
一対の貝がらだけがぴったりと合う大人になったら、良いご縁が頂けますようにとの願いをこめてはまぐりの潮汁を頂きます。
男児の成長を祝う節句
菖蒲には特別な力があると信じられ、五月五日には菖蒲湯に入ったり、菖蒲を屋根に葺いたり、悪いことが起こらないように祈ります。粽、柏餅を食します。
昔、七月七日は水の神様をお迎えする行事の日でした。
棚機つ女(タナバタツメ)とい呼ばれる女の人が夜通し機を織り、織り上がると神様にお供えをして、病気、災いが無い様にと、お願いをしました。
江戸時代に町の人にも広まり、願い事を短冊に書いて、笹竹につるすようになりました。
陽の数の「九」が重なることをめでたいとして『重陽』『重九』とも言う。
中国には「登高」として、野に出て丘に登り、丘の上で、長寿を祈り、菊花を浮かべた『菊の酒』を飲んだ。
邪気を払うためにグミを入れた袋を身につけて、グミの酒を飲む。
その折、岩槻城主は、加倉口御門外でお出迎えしていました。 その歴史の1ページを再現する「鷹狩り行列」に出演していただける個人またはグループを募集します。
徳川家康は無類の鷹好きとして知られ、一説にはその生涯において千回以上も鷹狩りを行ったと言われています。
鷹狩りは単なる娯楽ではなく、健康増進、民情視察、軍事調練等を兼ねたものでした。
家康は関東に入封した翌年の天正19年(1591)から忍、川越、岩槻など諸城周辺で鷹狩りに興じています。
慶長12年(1607)駿府に引退した後も、家康は鷹狩りで毎年のように江戸に下り、川越、鴻巣、忍、岩槻、越谷などへ訪れています。
城下町岩槻鷹狩り行列実行委員会事務局(岩槻区役所観光経済室内)
〒339-8585 埼玉県さいたま市岩槻区本町3-2-5
(TEL) 048-790-0118
(FAX) 048-790-0260
『犬筥いぬばこ』の文様の中の松竹梅鶴亀が配してございます。
今日はその文様を見てまいりたいと思います。
松は常に緑の色を保つ常緑木と呼ばれ、古くから吉祥樹とされています。
竹は松と同様に緑を保つとされ、まっすくに伸びることで他の植物と組み合わせたりもします。
梅は『好文木こうぶんぼくの異名の学問が栄える時に咲く花として知られ香り高い花です。
菅原道真もこよなく愛でた梅。
雛人形の文様としても多く取り入れられ、屏風にもその中ではよく使われています。
いわつき 2019年9月号 岩槻人形博物館コレクションご紹介の記事が掲載されています。
『犬筥いぬばこ』は和紙を張り重ねた吉祥の人形とされた犬型の張子。
犬はお産が軽く、生育が良いことから、安産のお守りなとどとして使われ、幼児の厄除けとして寝室に置かれました。