雛人形(おひなさま)ページを更新いたしました。

いつも小木人形ブログにお越しいただき有難うございます。

雛人形のページでは色々と検索にあ上がる事柄を織り込んだ充実した内容にさせて頂きました。

雛人形の歴史・由来などを通し、日本の伝統文化を深めて頂きたくご案内申し上げます。

雛を訪ねて400年

 

ひな祭りの源も色々な神事・行事、信仰があって合流したものです。

一つに『巳の日祓みのひのはらい』があります。

後に撫物の変形として天児あまがつ這子ほうこがあります。

 

雛遊ひいなあそび

大人を対象として、貴族間などに見られます。

 

立雛から座雛へ

雛の形は、立雛と座雛に分類されます。

 

座雛の江戸工芸美

座雛が技術的に完成の域に達したとみられるのは次郎左衛門雛でしょう。

 

雛に出された奢侈取締令

奢侈しゃし取締令は、士農工商という身分差別をつけて、商人を一番低い身分に置いたが、泰平の世が続くと、商人は財を貯え奉公人を多くかかえ、社会における隠れた支配力を持つようになってくる。

奢侈取締令が雛に適用されたのは最初は慶安2年2月(1649年)今から約3百年前のことである。

民間の美化的傾向を取り締まったものだが、徳川家からの注文品は例外としている。

つまり民間にかぎっている。

この時の対象は雛道具であった。人形にはまだそれほど高価で目に余るものはなかったようである。

雛人形(おひなさま)

岩槻人形博物館 『紫檀象牙細工蒔絵雛道具 江戸時代』を見に行こう!!

昔はどんなおひなさんを飾ったの?

岩槻人形博物館 

七段飾りの雛人形は明治時代には普通のお家では飾らなかった。

江戸時代にこういうおひなさまをかざったのは、お大名のお姫さまとかお金持ちの家だけだった。

昔はお人形さんよりお道具が多かった。

箪笥とか、茶箪笥とか、お裁縫の道具とかで、とても立派なものを作ったの、でもそういうものはお大名のお姫さまのお話。

 

岩槻人形博物館 『紫檀象牙細工蒔絵雛道具 江戸時代』

 

とても小さな雛道具は紫檀地に金銀の蒔絵。

蝶番や飾り金具は象牙細工、鳳凰と宝尽くしがほどこされたの最高級の雛道具。

11代将軍家斉のご息女所用という伝承のある名品。

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岩槻人形博物館 『天児と這子』を見に行こう!!

みそぎ、祓いの神事を源としたひな祭り

「巳の日祓い」

三月の巳の日に行なう祓いのことで、撫でもので体を浄めて、河原に出て祓いを行うことを言います。

紙を切って作ったものでひとの形をした人形ひとかた形代かたしろと呼ばれるものです。

後に撫でものの変形としてつくられたものが『天児と這子』があります。

お祓いってなに?なぜ昔はしたの?

昔は良いお医者さん、お薬はあっても少なく、生まれたばかりの赤ちゃんは病気にかかると亡くなってしまいます。

そこで、どこのお家でも赤ちゃんが生まれると、その赤ちゃんが病気にかからないように枕元に置いたり、寝ているお部屋に置いたの。

そのお人形が『天児あまがつと這子ほうこ』というこんな形をしているの。

天児の方は主として宮中で、

岩槻人形博物館 所蔵品 天児

這子は民間のお家で使われ、このお人形さんが赤ちゃんの病気と怪我という悪いことをかわってもっていってくれるものと考えていたの。

岩槻人形博物館 所蔵品 這子 

 

雛人形(ひな人形・おひなさま)、ひな祭り(雛祭り)の歴史と由来

 

七月七日は『七夕』

年に一度、天の川を渡って織姫と彦星が逢うことを許された星伝説の七夕行事。

この日の夜には、笹竹に願い事を書いた五色の短冊や可愛い飾り物を吊るし、御家族やお友達.

で楽しみます。

 

 

お子様行事の料理では七夕料理をご紹介しています。七夕 五節句の一つ

お子様行事の料理 七夕の節句

七夕まつり そうめん お子様行事の料理 七夕の節句

七夕の節句 五節句の際には、聖なる力が宿るとされるものを頂きます。