初正月飾り 男児の邪気を打ち破る『破魔弓』を贈ります  =雛人形・五月人形の人形専門店 小木人形 岩槻=

健やかな成長を願う男児の初正月飾りには破魔弓で悪魔を追い払います

 

破魔弓・男児の初正月飾の贈り物

 

破魔弓の由来

 破魔弓は、邪気を打ち破る「破魔弓」男の赤ちゃんの健やかな成長を願います

元々は厄災を祓い除くという神事用の弓で、「はま」は弓矢で的を射る意味し、のちに「破魔」の字を当てて、魔を射る矢と解されるようになりました。

 宮中で行われてきた正月17日に弓を射る儀式に由来し、その起源は孝徳天皇の647年にまでさかのぼるとされています

「はま」は弓を射る的のことで、のちに「破魔」の字を当て、男児の初正月を祝う縁起物となりました

魔をはらう弓矢には、お子さまの成長と無事を祈る思いが込められています

 

羽子板・破魔弓:令和6年11月1日~12月29日 (期間中は無休で営業いたします)

ひな人形:令和6年11月1日~令和7年2月24日

雛人形早期予約会同時開催中です 



 

人形のまち 岩槻 小木人形

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初正月飾り 『羽子板』女児の健やかな成長を羽子板飾りで厄を跳ね除ける =雛人形・五月人形の人形専門店 小木人形 岩槻=

羽子板は、厄を跳ね(羽根)除ける「羽子板」女の赤ちゃんの無病息災・厄払いを願います

 

初正月飾り 女児への祝品 羽子板飾り 羽子板

 

羽子板の由来

 厄祓い、無病息災を願う女児の初正月飾りには羽子板を贈ります

お正月の羽根突きは、江戸時代の昔から女の子の遊びです

そしてこの羽子板は、女の赤ちゃんの無病息災のお守りの意味を持っているのです羽子板の羽根

羽子板で付く羽根の玉、あの黒くて硬い玉は゛無患子むくろじ゛という大木の種です

 

すなわち『こどもが患わない』という意味を持っています

また、昔は羽根の形をトンボに見立てて、トンボが蚊を食べる益虫であることから、お正月に羽根を突くと、夏になっても蚊に食われることがないことから、長い間信じられてきました

こうして羽子板には、遠い昔から子供の厄祓い、無病息災を願うあたたかい親心が込められているのです

 

羽子板・破魔弓:令和6年11月1日~12月29日 (期間中は無休で営業いたします)

ひな人形:令和6年11月1日~令和7年2月24日

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令和6年度 人形のまち岩槻 人形供養祭・鷹狩り行列 =雛人形・五月人形の人形専門店 小木人形 埼玉県 さいたま市 岩槻=

11月3日(祝)に 人形のまち岩槻 秋の恒例 人形供養祭・鷹狩り行列が行なわれます

 

秋の味覚 柿

 

 

朝夕に寒さを感じるこの頃ですが、皆様にはお変わりなくお過ごしでしょうか

 

 

人形のまち岩槻も歴史の町としても知られています

 

もう11月ですが、3日には人形供養祭・鷹狩り行列が人形のまち岩槻では開催されます

 

【人形供養祭】

 

歴史と人形のまち岩槻 人形供養祭

 

 古くなって飾らなくなったり、壊れたり、使わなくなった人形をお持ちいただき、人形塚脇の黒門の周りに並べます

お世話になったお人形を心を籠めてご供養のお願いできます

この機会を是非ご利用下さい

 

  • 供養品 当日お持込みの場合

・11月3日午前10時から人形塚で受け付けますのでお持込みください

   (事前受付不要)

・供養料:1人3,000円~を目安として適切な供養料をいただきます

・持込方法:ガラスケースは取り外して、人形のみ供養受付にお出しください

※受付も上記の時間内で可能ですが、

お持ち込みは午後1時30分頃までにできるだけお願いします

 

 

詳細

日程 11月3日(祝) ※雨天決行

時間 午前10時~午後2時(式典は午前11時~正午)

場所 岩槻城址公園内 人形塚及び黒門周辺

※臨時の駐車場のご用意があります

◆ ご遠慮いただくもの:

ガラスケース、スチール製の段、全身が陶器・磁器製等の人形・土人形など

 

【鷹狩り行列】

歴史と人形のまち岩槻の秋のイベント 鷹狩り行列

 

 徳川家康は無類の鷹好きとして知られ、一説にはその生涯において千回以上も鷹狩りを行ったと言われています

鷹狩りは単なる娯楽ではなく、健康増進、民情視察、軍事調練等を兼ねたものでした

家康は関東に入封した翌年の天正19年(1591)から忍、川越、岩槻など諸城周辺で鷹狩りに興じています

慶長12年(1607)駿府に引退した後も、家康は鷹狩りで毎年のように江戸に下り、川越、鴻巣、忍、岩槻、越谷などへ訪れています

 

羽子板・破魔弓:令和6年11月1日~12月29日 (期間中は無休で営業いたします)

ひな人形:令和6年11月1日~令和7年2月24日



 

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