雛祭り・雛人形の由来と歴史 No3

雛人形の頭作り

京都から江戸へやってきたひな祭り

京都で生まれた雛遊はあくまでも貴族生活の縮図でした。

京都の雛遊を江戸へもたらした一人に春日の局(かすがのつぼね)の名が見られます。

こうした雛遊が、そのまま民間に浸透していったという見方と、他方では民間で芽生えた信仰が地方色豊かに存在していて、そういう幸の神を祀るかたちは、必ず男女対の像があって、婚姻、安産、育児の祈願の対象となっているのが、ひな祭りに転化されたという見方があり、それぞれの根拠がありますが、ここでは割愛して、お話を進めます。

京都の雛遊が民間で芽をふいているのは江戸よりはやいのではないかといわれるのは、雛人形の工作舎が宝暦(1751年)まで江戸に少なく、京都が独占していることからです。

京都から江戸へ雛遊が移入され、民間でも三月三日に定期的に行うようになったのは、大体寛永の末期頃(1640年)といわれております。

そして雛遊からひな祭りという呼び方に変わったのは享保(1716年)以前と言われていますから、江戸に移入してからもかなりの間雛遊と呼ばれていたわけです。

江戸風俗の中で、特に取り上げたいのが雛売りと雛市です。

 

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