貝原益軒の「日本歳時記」にのる雛遊の図
立雛・座雛を対等に一畳台に飾られている。
菱餅らしきものが三宝に載せられ、御神酒や重箱、魚などが供えられている。
立雛(たちびな)から座雛(すわりびな)へうつる時代背景
雛のかたちは、立雛と座雛に分類されます。
立雛は主として紙でつくられたので、一名紙雛とも呼ばれます。
立雛の方が歴史は古く、かたちから推察しても天児(あまがつ)、婢子からからきた男女一対の雛人形のようにみえます。
座雛は寛永(1624年)以後につくられたもので、抽象的な立雛に比べて写実的な彩りにつつまれています。
面白いのは、上巳の節句、雛遊と、雛の対象が貴族、武家にとどまっていた頃は立雛で、それが武家から庶民の手に移って、庶民の創造から生まれたのが座雛であるということです。
しかし、座雛がつくられてすぐに立雛がなくなったわけではなく享保(1716年)頃までは立雛と座雛は対等に飾られています。
そして享保以降は座雛が主、立雛が従となり次第に衰微をたどります。
(岩槻工業団地内)
赤ちゃん授乳室完備