古今雛
衣裳に金糸、色糸を使って鳳凰薬玉の縫紋を加工したり、袖に紅綸子を用いて色彩を豊か
座雛に見る江戸工芸美の極致
座雛が技術的に完成の域に達したと見られるのは次郎左衛門雛でしょう。
延享(1744年)につくられたもので、京都の岡田性菱屋次郎左衛門の創案によります。
次郎左衛門雛の特徴は、面長に描いた首を整った曲線でまとめ、顔は引目かぎ鼻の典雅な筆で全体に清新な味を表現しています。
男雛は、黒袍に、くぼみに霞の紋が浮織になっている袴をつけています。
女雛は、五衣(いつつぎぬ)・唐衣(からぎぬ)に裳(もすそ)をはいています。
雛人形の中でも佳作の部に属しているといわれ次郎左衛門雛の流行は圧倒的に江戸の人気を独占しました。
しかし宝暦九年(1759年)江戸が京都の移入を禁止したため、享の菱屋(次郎左衛門)、かぎやの江戸進出となります。
宝暦末に菱屋が江戸へ進出して以来、次郎左衛門雛は、明和、安永より天明を経て、寛政末年まで、およそ三十余年の間に、すっかり江戸化してしまったと見られます。
次郎左衛門雛の衰退は、京都に対抗する江戸人の義慣と見る向きもありますが、やはり江戸人の好みにあった江戸雛として、古今雛が登場するに及んで、全く姿を消しました。
古今雛は、明和(1764年)年末に原舟月の手によってつくられました。
古今雛が従来の雛と違う点だけをとりあげますと、衣裳に金糸、色糸を使って鳳凰薬玉の縫紋を加工したり、袖に紅綸子を用いて色彩を豊かにしたことと、二畳台を設けて雛を据えていること、頭が写生的に精妙を極めた点などがあります。
なかでも画期的な技巧は、原舟月が山車の人形の製作者だったところから、雛の両眼に玻璃玉(はりだま)を嵌め込んだことといわれます。
それから以降の雛は多く古今雛の技法を取り入れてつくられています。
(岩槻工業団地内)
赤ちゃん授乳室完備