いろはかるた 『 ち 』  千倉 元順碑

歴史と人形のまち岩槻  千倉 元順碑

南千倉海岸にある元順号遭難救助の碑

千葉県安房郡千倉町(現・南房総市)1981年友好都市提携

安永9年(1780)に当時岩槻藩領であった千葉県千倉へ清国の舟が漂着した事件をその処理に郡奉行として携わった南柯の業績を物語る伝説

浄安寺のちご桜

江戸時代、岩槻藩主に仕えた儒学者の児玉南柯は多くの著作などをのこしています。

そのうち南柯が書いた書物版木が菩提寺の 浄安寺に保存されています。

 

浄安寺の境内には大きなしだれ桜がありました。

その花が咲くころには、ほかにたとえようもないほどの美しさだったと言われています。

桜のかたわらには寺の鐘撞きかねつき堂があり、浄念じょうねんという名18・9歳になる小坊主が毎日金を撞いていました。

ある日のこと、浄念が金を撞き終えて堂から降りてくると、桜の花の下に美しい少女が立っていました。

次の日、また次の日も、少女が花の下に立って浄念に微笑みかけているのです。

浄念は朝のくるのが楽しみでなりませんでした。

この少女の名を妙といい、二人はだんだん親しくなっていきました。

このころ児玉南柯は『漂客紀事ひょうきゃくきじ』という本を書き上げて殿様のお目にかけたところ、殿様はたいそう良いできばえだとほめたたえ「さっそく版を起こして人々に読ませなさい」と南柯に言いました。

しかし南柯は「版木になる桜の木がないので困っています」と殿様に申し上げました。

すると殿様は「桜か・・・・・・。あるある、浄安寺の境内にある大きなしだれ桜がいい。住職に話しなさい」と言いました。

「でも、あのように美しい花の咲く桜を切ってしまっては寺の風情にかかわります」と南柯が申し上げると殿さまは「いやいや、よろしい。先生の学問のためには桜も喜んで犠牲ななってくれよう。天下の名文を埋もれさせることはできない」

浄安寺の住職もこの話を聞き、南柯先生のためであるからぜひお役に立ててほしいと、大きなしだれ桜の木を提供しようと申し出ました。

桜を切り倒す日になりました。妊婦がおおきなのこぎりでその根元を切り始めると、驚いたことに真っ赤なおかくずが血潮のようにあふれ出しました。

それだけではありません。桜は、のこぎりを動かすたびに泣くように、訴えるように、叫ぶように、まるで生き物を殺生するような恐ろしい響きをたてて切られていったのです。

その嫁のことです。息苦しくてなかなか寝付かれない浄念がふと障子を見ると、あの妙の姿が幻のように障子に映っているではありませんか。

「浄念さま、長らく深いお情けをいただきましたが、もうお会いすることができません。実は、私は桜精なのでございます。

南柯先生の版木になるために切られましたので、この世から消えなければなりません。お名残りおしゅうございますが、これでお別れいたします。と言い残してすーっと消えてしまいました。

浄念は妙の話を聞き、驚きのあまり気を失って寺を出て行き、いずこかへと姿を消してしまいました。

その後、真夜中になると誰もいないのに鐘楼の鐘が悲しい響きを立てて鳴るようになったということです。

< 資料抜粋 いわつき郷土文庫 第2集 岩槻の伝説 岩槻市教育委員会 >

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