歴史と人形ののまち岩槻 浄安寺 槍がえしの門
江戸時代、岩槻城下の出入り口は、市宿口いちじゅくぐち、諏訪小路口すわこうじぐち、丹過口たんがぐち、林道口りんどうぐち、田中口たなかぐちなどがありました。
それぞれの口には木戸門がもうけられ、番所が置かれていました。
このうち田中口門は、屋根が立派な造りの門で、城下の人々は皆、この木戸門を誇りに思っていました。
しかし屋根があり間口が狭いため、馬や荷車の通行には不便をきたしてもいました。
あるとき、日光東照宮へ行く将軍の行列がこの木戸を通ろうとしました。
行列は槍を先頭に進んできましたが、屋根が邪魔でやりを立てたままでは通ることが出来ません。
行列の供頭ともがしらは「ふとどきである。屋根を取り壊してしまいましえ」と言って取り壊そうとしました。
大切な木戸門がこわされては大変とばかり、町人たちは城主・永井直陳ながいなおのぶに訴えでました。
永井直陳は、気が強く心正しいことでは幕府内でも有名で「せっかく今ある屋根を壊すことはない。槍を倒して通りなさい」と供頭に言いました。
供頭は槍をかえす(倒す)ことは将軍の威光にかかわることだと言いましたが、直陳が頑として大島千。
しかたなく行列は槍を倒して木戸門を通っていったということです。
その後、木戸門は取り払われることになりましたが、壊してしまうのは惜しいと、この門を浄安寺に移設しました。
城下の人々はこの門を『槍がえしの門』と親しみをこめて呼ぶようになったということです。
引用資料 いわつき郷土文庫 第2集 岩槻の伝説 岩槻市教育委員会
赤ちゃん授乳室完備