ジャンボ雛段
おひなさま十五人がそのままのお姿です。
小雨の降る中に岩槻まつりが開催されました。
岩槻まつり恒例の黒奴行列・人形仮装パレード、ジャンボ雛段はもちろん大勢の見物で賑わいました。
お子様の仮装はとっても可愛いです。
(岩槻工業団地内)
赤ちゃん授乳室完備
ジャンボ雛段
おひなさま十五人がそのままのお姿です。
小雨の降る中に岩槻まつりが開催されました。
岩槻まつり恒例の黒奴行列・人形仮装パレード、ジャンボ雛段はもちろん大勢の見物で賑わいました。
お子様の仮装はとっても可愛いです。
雛人形七段飾り
ひな祭りの風習が一般庶民に浸透されたのは、江戸時代中期以降
上巳の祓とは別に雛遊という人形を持って遊ぶ児戯があります。
これを『ひいなあそび』とよんでいます。
これについて本居宣長は、ちいさく造ってあるので鳥のひなに例えて雛というと、言っておりますが、もともと京都が発祥地で、『ひいな』は京都の鉛とする方が自然のようです。
雛遊びが初めて史書に登場したのは、大人を対象としたもので、貴族の遊びに見られます。
これが子供の世界に広まったのは、かなり早いようです。
この雛遊びがひな祭りに発展していったとみる根拠は、ひな祭りの人形が、ひいなあそびのひいなが進化したものと見られることにあります。
また雛遊が単なる子供の『ままごと遊び』と違うところは、必ず男女対の人形を使っていることで、夫婦の純潔の道徳を心に植えつけ、雛道具は、婦女子の世帯の教訓、嫁入り道具を意識したものと言われています。
天児(あまがつ)
「天児」はT字形に組み白絹製の頭の部分をつけ、祓いに用いられる人形の一種。平安時代からある。
これに赤ちゃんの産着などの衣装を着せて゛けがれ゛のお祓いの形代(カタシロ)としました。
大きな河川も、その源を訪ねると、いくつもの小さな流れがあって、そのいくつもの流れが合流して、次第に形をなして遂には一つの大きな流れとなります。
歴史の流れも同じで、ひな祭りの源も、いろいろの神事、行事、信仰があって合流したものです。
ひとつに『巳の日の祓』がありました。
巳の日祓とは三月の巳の日に行なう祓いのことで、撫物(なでもの)でからだを浄めて、河原に出て祓いを行うことをいいます。
撫物(源氏物語、須磨の巻に登場)は、紙を切って作ったもので人のかたちをした、人形(ひとがた)、形代(かたしろ)とよばれるものです。
のちに撫物の変形としてつくられたものに、天児(あまかつ)、婢子(ほうこ)があります。
両方とも小児誕生の時につくられるもので、幼児を襲う穢れ(けがれ)や、災いを負わせるための形代で、男女の別なく、天児は主として宮中で、婢子は民間で使われていたようです。
これが後の立雛によく似ているところは、見落としできません。
こうして人形に穢れや災いを負わせ風習が、現在も行われています。
鳥取県の流しびなが有名ですが、人形のまち岩槻でも毎年行われています。
上巳の祓を三月のはじめの巳の日と決めて不祥をはらうことは、前にも述べましたが、これを三月三日という一定の期日に決めた最初は不明ですが、持統天皇の五年(691年)には上巳を三月三日としている文献があります。
つまり上巳の節句の始まりです。
「夏の大三角」
伝統的七夕の星空
天の川を挟んで織姫星と彦星、そして上弦に近い月が輝きます。
「わし座」の一等星アルタイルは「彦星」
「こと座」の一等星ベガは「織姫星」
天の川の真ん中で明るく光っている星が、「はくちょう座」の一等星デネブです。
七夕は『乞巧奠(きっこうでん)』巧みを乞う奠(たくみをこうまつり)で織物や針仕事を上手になりたいと願う中国の星まつりの行事が日本に伝わり宮中の行事となって彦星・織姫星にお供え物をして、技芸の上達を祈りました。
2015年は8月20日を中心に「明かりをけして 星をみよう」をスローガンに掲げてキャンペーンを展開します。
関東の方は何か、昔の内裏雛は向かって右が男雛、左が女雛なのに、今は雛飾りは反対に飾られていると思いませんか。
日本には昔から左尊右卑の思想がありました。
左大臣は右大臣より上位にあり、将軍、大名の御座所で、殿様は左に奥方は右にならぶのは、テレビなどで良く見かけると思います。
内裏雛の並べ方もそのため上記のようでしたが、昭和初年になって御真影(天皇さま・皇后さまのお写真)が向かって左に天皇さま、右に皇后さまをかかげたので、同じようにしてはどうかという意見がでました。
そこで昭和初年、東京雛人形卸組合が、今後、内裏雛は御真影と同じく、向かって左に男雛、右に女雛と統一することを決めたのが、今日に至っています。
したがって昭和以前の雛飾りは、今と逆の並べ方で飾られているところもあります。
特に関西方面では昔のしきたりそのままを飾っている所が多いようです。
雛人形の衣装 亀甲繋ぎ文様(姫の表着)
日本の文様は基本の一つの単位の文様を変形したり、組み合わせたりして多くの文様を生み出した。
亀甲・七宝を一つの単位として繋ぎ合わせ平面に充填する文様。
また、上下に連ねて縞模様を構成する。
日 程 : 2015年8月20日(木)とその前後 (国立天文台の計算による)
「伝統的七夕」は、かつて七夕行事が行われていた本来の七夕にあたる日です。
国立天文台は、太陰太陽暦(いわゆる“旧暦”)の7月7日にちなんだかつての七夕を「伝統的七夕」と呼び、2001年から広くお知らせしています。
その日付は、二十四節気の処暑を含む日かそれよりも前で、処暑に最も近い朔(新月)の日から数えて7日目、としています。
現在使われている暦は太陽暦ですので、伝統的七夕の日付は毎年変わります。
昭和51年から始まった岩槻まつりは今年で40回目を迎えます。
最大の見どころとなっているジャンボ雛段は幅10メートル、高さ8メートルあり、昭和63年から始まりました。
小木人形の大きな雪洞が毎年飾られています。
子どもみこし、大人みこし、万燈みこしに加え、人形仮装パレード、ジャンボひな段、よさこいフェスタ、黒奴行列など、多彩なイベントが行われます。
日時 8月23日(日) 15:00~21:00 ※雨天決行
会場 旧岩槻区役所跡地、岩槻駅東口前、市宿通り周辺
アクセス 東武アーバンパークライン(野田線)岩槻駅東口から徒歩すぐ
問合せ:人形のまち岩槻まつり実行委員会/さいたま商工会議所岩槻支所
電 話:048(756)1445
久伊豆神社
埼玉県さいたま市岩槻区宮町2丁目6−55
夏越しの風鈴(なごしのふうりん)一二三の風鈴[ひふみのふうりん]
鈴の音には、罪穢れを祓い、身を清めて神を迎える音といわれています。
夏の風物詩・風鈴の音色をくぐることで心身を清める意味があります。
この浄めの風鈴をくぐり、『いち・にの・さん』と声をあげて、良い一日のスタートを切ってください。
今も去る千三百年前、欽明天皇の御代出雲の土師連の創建したものと伝えられる。
その後相州鎌倉扇ケ谷上杉定正が家老太田氏に命じ、岩槻に築城の祭城の鎮守として現在地に奉鎮したといわれている。
江戸時代歴代城主の崇敬厚く、特に家康公は江戸城の鬼門除けとして祈願せられた。神社境内は城址の一部で、元荒川が東北に流れ、市内でも数少ない貴重な社叢として知られている。
明治八年一月十一日、火災に遭い、時の城主、町民より寄進された社殿寄進有に帰し、現社殿は、その後氏子崇拝者の誠意により再建されたものである。
現在神域は次第に整い、社域はいよいよ高く神徳ますます輝きわたり岩槻総鎮守として広く人々の崇敬をあつめている。