敬老の日 

2015年 敬老の日は9月21日

もともとは9月15日でしたが、今では9月第3月曜日となりました。

老人を敬愛し、長寿を祝う日として1966年(昭和41年)に国民の祝日となりました。

聖徳太子によって、身寄りのない老人のための施設『悲田院(ひでんいん)』がこの日に建てられたという由来があります。

なかなか日頃は祖父母、ご両親様には感謝を伝えられないでいらっしゃると存じますが、この日には有難い気持ちをしっかりお届けしたいものです。

 

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(岩槻工業団地内)

赤ちゃん授乳室完備 
 

 

 

小木人形ホームページが新しくなりました ♪

https://www.koboku.co.jp/のTOPページ

この度は台風17号・18号により多くの被害があったとテレビなどで知りました。

被害にあわれた方々に心よりお見舞いを申し上げます。

 

ところで、いつも小木人形のホームページをご覧いただきましてありがとうございます。

この度『レスポンシブ』

Androidスマートホン  iphone  PC  タブレット端末に対応のサイトに少しづつ変えてまいります。

多くのお客様に見やすさを考え、手直しをしております。

これからも小木人形のホームページをどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

 

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日本の唱歌 「いなかの四季」 秋の風情

今では見られない日本の田舎の風景

道をはさんで畠一面(はたいちめん)に

麦は穂が出る 菜の花盛り

眠る蝶々 飛び立つひばり

吹くや春風 たもとも軽く 菜の花盛り

あちらこちらに桑つむ乙女

日まし日ましに はるごも太る

 

ならぶ菅笠 涼しいこえで

歌いながらに植え行く早苗

ながい夏の日いつしか暮れて

かえる道々あと見返れば

葉末(はずえ)葉末に夜つゆが光る

 

二百十日も 事なくすんで

村の祭りの太鼓がひびく

稲は実がいる 日よりはつづく

刈って ひろげて 日に乾かして秋の風物詩 案山子

もみに仕上げて 俵につとめて

家内そろって 笑顔に笑顔

 

そだを折りたく いろりの側で

夜はよもやま話がはずむ

母がてぎわの大根なます

これがいなかの年こしざかな

棚の餅ひく 鼠の音も

更けて 軒端(のきば)に雪降り積もる

 

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雛人形の文様 鴛鴦文

皇太子さまは鴛鴦の丸文様に黄丹色の御袍です。人形のまち岩槻 小木人形 雛人形の文様 鴛鴦の丸

鴛鴦(おしどり)

雄を鴛(えん)、雌を鴦(おう)といいます。

鳥類の中で鶴につぐ吉祥文様。

鴛鴦は雄雌が仲がとても良く常に一緒にいることから夫婦和合に例えられています。

 

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九月一日は二百十日

八月も今日で終わります。

明日は九月一日で立春から数えて210日目に当たります。

この頃は風雨の激しい日とされ、台風が日本にやってくるころとされています。

この時期は農作物・稲などには特に気を使います。人形のまち岩槻 雀

ところで、当店の駐車場の一角に雀のために小鳥のエサを蒔いておくのですが、ここのところ、さっぱり雀たちは姿を見せません。

稲が熟した穂を垂れる様子からみて、雀たちは稲の穂をついばんでいるのだろうか。

お米に感謝をして美味しくいただきま~す。

 

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ひな祭り・雛人形の由来と歴史 No5

古今雛

衣裳に金糸、色糸を使って鳳凰薬玉の縫紋を加工したり、袖に紅綸子を用いて色彩を豊か

座雛に見る江戸工芸美の極致

座雛が技術的に完成の域に達したと見られるのは次郎左衛門雛でしょう。

延享(1744年)につくられたもので、京都の岡田性菱屋次郎左衛門の創案によります。

次郎左衛門雛の特徴は、面長に描いた首を整った曲線でまとめ、顔は引目かぎ鼻の典雅な筆で全体に清新な味を表現しています。

男雛は、黒袍に、くぼみに霞の紋が浮織になっている袴をつけています。人形のまち岩槻 小木人形 ひなまつり、雛人形の由来と歴史

女雛は、五衣(いつつぎぬ)・唐衣(からぎぬ)に裳(もすそ)をはいています。

雛人形の中でも佳作の部に属しているといわれ次郎左衛門雛の流行は圧倒的に江戸の人気を独占しました。

しかし宝暦九年(1759年)江戸が京都の移入を禁止したため、享の菱屋(次郎左衛門)、かぎやの江戸進出となります。

宝暦末に菱屋が江戸へ進出して以来、次郎左衛門雛は、明和、安永より天明を経て、寛政末年まで、およそ三十余年の間に、すっかり江戸化してしまったと見られます。

次郎左衛門雛の衰退は、京都に対抗する江戸人の義慣と見る向きもありますが、やはり江戸人の好みにあった江戸雛として、古今雛が登場するに及んで、全く姿を消しました。

古今雛は、明和(1764年)年末に原舟月の手によってつくられました。

古今雛が従来の雛と違う点だけをとりあげますと、衣裳に金糸、色糸を使って鳳凰薬玉の縫紋を加工したり、袖に紅綸子を用いて色彩を豊かにしたことと、二畳台を設けて雛を据えていること、頭が写生的に精妙を極めた点などがあります。

なかでも画期的な技巧は、原舟月が山車の人形の製作者だったところから、雛の両眼に玻璃玉(はりだま)を嵌め込んだことといわれます。

それから以降の雛は多く古今雛の技法を取り入れてつくられています。

 

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ひな祭り・雛人形の由来と歴史 No6

宝鏡寺

〒602-0072 京都市上京区寺之内通堀川東入ル百々町547

京都に、今ものこる人形寺の雛人形・御所人形

江戸の中期まて、雛人形の工作舎は殆ど京都で占められていたことは前にも書きましたが京都の江戸移入が禁止されてからは、江戸は江戸、京都は京都で作られているようです。

次郎左衛門雛より少し遅れて、京都には山科雛、高倉雛が貴族階級に限られ飾られていました。

京都今出川堀川に宝鏡寺という尼寺があります。

この地では俗に人形寺と呼ばれしられています。

この寺は厄650年前の光厳天皇(1331年)の皇女華林恵厳禅尼開山により臨済宗の門跡寺院てあり、中世京洛に栄えた尼五山の一つであった景愛寺の法灯を今に伝える位(くらい)高いお寺です。

歴代皇女方が出家入山されたところから「百々(どど)御所」とも呼ばれています。

皇女方が入寺されているため、おひな祭りのたびに御所から人形が贈られて、いつの頃からか人形寺として名高くなり、由緒ある人形が数多く保存されています。

皇女和の宮さまもたびたびこのお寺へお成りになり、桂御殿のご普請中はこの寝殿にお住いになられました。

和の宮さまおかくれの後、宝鏡寺へ御遺品としてご愛用品や絵巻物など下賜され今も保存されているのは、こんなゆかりからでしょう。

この寺では年二回春と秋に新古人形の名品の展示の一般公開がございます。

春の展示には雛人形を中心に飾られます。

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ひな祭り・雛人形の由来と歴史 No4

貝原益軒の「日本歳時記」にのる雛遊の図

立雛座雛を対等に一畳台に飾られている。

菱餅らしきものが三宝に載せられ、御神酒や重箱、魚などが供えられている。

立雛(たちびな)から座雛(すわりびな)へうつる時代背景

雛のかたちは、立雛と座雛に分類されます。

立雛は主として紙でつくられたので、一名紙雛とも呼ばれます。

立雛の方が歴史は古く、かたちから推察しても天児(あまがつ)、婢子からからきた男女一対の雛人形のようにみえます。

座雛は寛永(1624年)以後につくられたもので、抽象的な立雛に比べて写実的な彩りにつつまれています。

面白いのは、上巳の節句、雛遊と、雛の対象が貴族、武家にとどまっていた頃は立雛で、それが武家から庶民の手に移って、庶民の創造から生まれたのが座雛であるということです。

しかし、座雛がつくられてすぐに立雛がなくなったわけではなく享保(1716年)頃までは立雛と座雛は対等に飾られています。

そして享保以降は座雛が主、立雛が従となり次第に衰微をたどります。

 

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