松喰い鶴(まつくいつる) 松の枝をくわえた鶴
シルクロード伝来の花喰い鳥文が平安時代に変化し、おめでたい松と鶴のくみあわさったもの。
現在の皇后さまの御唐衣。
鶴は千年亀は万年と言われるよう長寿を表す文様です。

(岩槻工業団地内)
赤ちゃん授乳室完備
シルクロード伝来の花喰い鳥文が平安時代に変化し、おめでたい松と鶴のくみあわさったもの。
現在の皇后さまの御唐衣。
鶴は千年亀は万年と言われるよう長寿を表す文様です。
飛鳥・奈良時代は仏教の伝来により、大陸からもたらされた仏教美術工芸の品々を愛好し、仏教関係品に施された装飾文様を次々とうけいれる。
平安時代になると日本的なものへと関心が高まり、松・梅・など身近なものへと変わって行く。
羽根を広げた2匹の蝶で構成された丸文。
多くは浮線文様として女房装束の唐衣などに用いられた。
平安時代より宮廷や貴族を中心に調度品や衣服類に、伝統的に用いられた文様の中の、特に衣服などに使われることの多いものを、有職文様とよびます。
天皇の御袍の文様は桐竹鳳凰ですが、後世この上に麒麟(きりん)という空想上の動物の文様が加わります。
天皇の御袍は『黄櫨染(こうろうぜん)』の色で、これは重い御式のときの御召しもの。
軽い御式のときは『麹塵(きくじん)』と呼ぶ玉虫色に見える色で同じ文様の御袍を御召しになります。
—— 参考資料 文様の四季 木村孝 著 —–
鳳凰は桐林に棲み竹の実を食べるという中国の故事に由来、天皇専用に用いられる有職文様。
毎度格別なるご愛顧を賜り、誠にありがとうございます。
うだるような暑さですが、皆様にはご健勝のこととお慶び申し上げます。
夏の土用といい一年中で一番暑い時期です。
和菓子屋さんに『土用餅』を見かけるのもこのころです。
古くから、土用の入りに小豆餅を食べて暑気払いし暑い夏を乗り切るとか言います。
他に、食い養生といえば、鰻やシジミも食べたりします。
まだまだ暑さは続きますのでお身体ご自愛くださいますよう。
岩槻城址公園
さいたま市岩槻区太田3-4
岩槻城の曲輪の部分に当たる。公園内には、黒門と呼ばれる岩槻城の表門が保存されている。
また、黒門と向かい合うように人形塚があります。
公園内桜の名所です。
岩槻の城址公園の園内の八つ橋がかけられた菖蒲池には今のこの時期は睡蓮が咲いています。
庭園には欠かせない柳が池を引き立たせていましたが、今ではその柳も姿が無くなりさびしいですがねぇ~。
竹は文様でも他のものと組み合わせてみたり、竹そのものを使ったりといろいろな文様がある。
まっすぐに伸びる竹は古くから神聖な植物とされてきた木です。
文様として
竹林には雀の姿は見る自然な情景です。
梅に松とともに使う文様は吉祥文様です。
中国では虎は竹林に住むという。
日本ではそのまま竹と虎が組み合わて意匠化される。
岩槻は江戸から九里、そのノド頭に当たる日光御成街道の宿場であった。
日光に通じる御成街道 杉並木がある。
岩槻城下の繁栄の名残りが感じられる。三代将軍家光が日光に東照宮を造営し、その街道筋に当たる宿場町であり、城下町の岩槻は想像以上のにぎわいを見せていた。
東照宮の造営は寛政元年に始まり、寛政13年に終わるが、その間全国から集まる工人も多く、木材などの資材を運搬する人馬の往来で賑わい、完成後も参拝の客はあとをたたず、『日光見ずして結構というなかれ』といわれるほどの名所になって、死ぬまでには一度は日光を見ておきたいものだと、全国から引きも切らずに老若男女がやってきたし、将軍の主催する祭にも各地の大小名がはせ参じた。
とくに何年かごとに行なわれる東照宮の修築には、全国から有名無名の工品がたくさん集められたから、地方都市にはめずらしく人々の交流もさかんであった。
その杉並木のある御成街道を少し進むと東武動物公園がある。
29日、東北北部と九州北部がようやく梅雨明けした。との発表がありました。
すべての地域が梅雨明け一年中で一番暑い時期です。
ところで、小木人形から車で20分くらいの距離に東武動物公園がございます。
この暑い夜をお子さまと動物園も良いでしょうね。
ライトアップされた夜の動物たちを観察してみるのも楽しいです。
岩槻の文化財となっている金剛院仁王門の金剛力士像
金剛院
埼玉県さいたま市岩槻区末田1899
このお寺は、奈良長谷寺の末寺とされ金龍山金剛院妙音時と称し、本尊に虚空菩薩が祀られています。
また、僧侶の学問所となっていたと伝えられています。
仁王門は、元禄10年に徳川綱吉の生母桂昌院より寄進されたもので、両側に金剛力士像が安置されています。
この像は力みなぎる筋肉や均整のとれた姿勢など、境内を守護する力強い特徴がよく表れています。
—– 市報さいたま 岩槻区版より抜粋 —–
雛人形・五月人形 人形のまち岩槻 小木人形
(岩槻工業団地内)
赤ちゃん授乳室完備
この神社の創建は天明2年6月15日の御鎮祭と伝えられています。
一陽来福を祈る参拝者が多いところです。
さいたま市岩槻区大戸1752番地
その昔、岩槻城下の繁栄を極めたる当時、江戸城の鬼門寺として有名な華林山慈恩寺や、日光廟に往来した諸人は、日光街道を曲げて現在の元荒川沿いを下って岩槻城下の第六天神社に奉拝したという記録が残されている。
また、戦国の世に、岩槻城主太田氏の将兵の信仰を得て、岩槻城下に暮らしを立てていた武士や町民や商人、農村の人々が、この草深い祠に奉拝して霊宝を賜ったといわれている。
殊に農民の豊饒為福、商人の商売繁盛を図るには第六天神社の御神札がなくてはならないぬものであった。
年に一度、向かい天狗の絵馬と神札をおし戴いて家郷に持ち帰り、家内安泰・作物豊饒・災厄除去を祈れば、その霊験顕れて、秋の実りの収穫となり再び御礼に参り、年々信心者が殖えて、今日の第六天神社の大きな基盤となったのであります。
境内には、樹齢数百年と言われる藤の花をはじめ、牡丹・紫陽花・躑躅・西洋藤と言われるキングサリの花が咲き乱れ、元荒川の岸頭には桜並木が続き、埼玉の自然百選、岩槻の観光名所として風光明媚なお宮であります。
又、門前には、鯰の天麩羅、鰻の蒲焼き、鯉料理等で有名な老舗川魚料理店が立ち並んでおります。
—— 武蔵第六天神社資料の抜粋 —–
- 東武アーバンパークライン 岩槻駅下車
- 岩槻駅より朝日バスをご利用ください。
- 「越谷駅西口」行き又は「水上公園」行きでバス停「巻の上」にて下車徒歩10分
江戸時代初期の『武州岩槻城図』に愛宕神社が記されている。
「岩槻城大構(いわつきじょうおおがまえ)」
埼玉県さいたま市岩槻本町3丁目21−25
戦国時代の末から江戸時代の岩槻城下町は、その周囲を土塁と堀が囲んでいたが、この土塁と堀を大構(外構・惣構・土居)という。
城下町側に土塁、その外側に堀が巡り、長さは約八kmに及んだという。
この大構は、天正年間(1580年頃)、小田原の後北条氏が豊臣政権との緊張が高まる中、岩槻城外の町場を城郭と一体化するため、築いたものとされ、白の防御力の強化を図ったほか、城下の町場の保護にも大きな役割を果たした。
廃城後は、次第にその姿を消し、現在は一部が残っているにすぎず、愛宕神社が鎮座するこの土塁は大構の姿を今にとどめる貴重な遺構となっている。
東武アーバンパークライン(野田線)「岩槻駅」より徒歩3分