重陽の節句は五節句の一つ『菊の節句』『栗の節句』とも言われます。
赤ちゃん授乳室完備
陽の数である九が重なることをめでたしとして、「重陽」「重九』という。
そのころは菊の花の盛りでもあるので、菊の節句ともいう。
江戸時代になって、重陽の節句は五節句の一つになり、藩主は登城してお祝いし、庶民は菊酒を飲んで、栗ごはんを食べる風習になりました。
重陽の節句(九月九日)の行事で、前夜菊の花に花色に染めた真綿をおおって、その露や香を移しとり翌朝その綿て顔や身体を払うと不老長寿が保たれるというもので、平安時代に盛んに行われていました。
ことにこの時代の女性には菊の持つ不老・若返りの効をも信じられていた様で、紫式部が道長夫人の源倫子より菊の被綿を贈られて大感激して詠んだ歌が有名です。
紫式部日記
菊の露わかゆばかりに袖ふれて 花のあるじに千代はゆづらむ
陽の数である九が重なることをめでたしとして、「重陽」「重九』という。
そのころは菊の花の盛りでもあるので、菊の節句ともいう。
節句はもともと『節供』の字が当てはまり、季節季節の節目に当たる特別日のことです。
『供』は供物で神様に捧げる食べ物です。
人を招き食を共にすることが節句です。
「菊の節句」ともいわれるこの日には、平安時代の貴族のあいだでは、女性には特別な習慣があります。
重陽の節句の前夜の八日に、菊の花を高価な真綿で覆い、菊の露と上品な菊の香りを移します。
露に湿ったその真綿を肌にあてて清めると、若返り、寿命が千年延びると言われていたようです。
江戸時代になって、重陽の節句は五節句の一つになり、藩主は登城してお祝いし、庶民は菊酒を飲んで、栗ごはんを食べる風習になりました。
暑さ、寒さも彼岸までと申しますが、栗・柿・葡萄・さつま芋など秋の実りいっぱいの季節となりました。
栗がごろごろっといっぱい入った栗ごはんは家族みんなで食べたいものですねぇ~。
ところで、そろそろ衣替えと思っていらっしゃる方が多いことでしょう。
衣替えは年に二回、六月一日と十月一日に行います。
十月一日に行う衣替えを『後の衣替えのちのころもがえ』と申します。
もともとは『後の更衣』は着物を綿入れに替えることでした。
今では、その綿入れに代えて厚手のものを用意いたします。
おひなさまを飾ってみたり、衣替えをしたりしてちょっと気分も変えてみたいです。
平成29年10月7日(土曜日)~10月15日(日曜日)
午前10時30分~午後4時まで
オープニングイベント
【場所】 岩槻駅東口・クレセントモール 平成29年10月7日(土曜日) 開催セレモニー・和太鼓披露・和菓子製作体験(子供用菊菓子100円・大人用菊菓子500円) 木目込ストラップ製作体験
開催期間イベント
博物館・特別参加店において後の雛(秋に雛人形の虫干しも兼ねて飾る伝統行事)と重陽の吊るし雛の展示
木力館・東久歴史館・鈴木酒造・陶わた忠・ほてい家 東玉人形の博物館・久伊豆神社・赤煉瓦つくりの大正館
節句はもともと「節供」の字が当てはまります。
季節季節の節目にあたる特別な日のこと。
「供」は供物で神様にささげる食べ物のことで、人を招いて食を共にするのが節句です。
お正月の最後となるこの日には、七草粥(せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ)を食べ、一年の豊作と無病さくさいを願います。
今でも一部の地域に残る「流し雛」と、平安時代の貴族のお人形遊び「ひいな遊び」が結びついて生まれた「雛人形」。 現代では女の子の健康しと幸せを願い、3月3日のひなまつり(桃の節句)に飾ります。
もともと菖蒲の季節に、宮廷で武術を競い、病気や災いを祓う式日でした。 そして武家の時代には尚武とかけて甲冑や刀などの武具を飾り武運長久・立身出世を願う儀式となり、それが江戸時代に庶民に広がり、現代に受け継がれています。
七月七日に行われる七夕は、中国に伝わる「牽牛星けんぎゅう」と「織女星しゅくじょ」の伝説と、日本に古くから伝わる「棚織津女たなばたつめ」の物語が合わさってできたと言われています。 七夕が近づくと願い事を短冊に書き、笹竹に結んで飾ります。
元々は中国の考え方で、九という陽数(奇数)が重なるため【重陽】と呼び、目出度い日とされてきました。 また菊の花は不老長寿に結びつくとされ、九日は菊の花を浮かべた菊酒などをたのしむ習わしです。
参考資料 全日本人形専門店チェーン小雑誌より抜粋
画像 和の食文化シリーズ 切手より
夏の暑さで消耗した体を回復させる作用が栗にはあり、江戸時代から庶民は栗ごはんを食べるという風習が定着したそうです。
菊の節句とも別名言われるところから菊花茶を飲んで菊の最中などでお茶会をしてみるのも楽しいです。
菊花茶を使って菊湯もよろしいのではないですか?
菊湯は血行促進、夏の冷房で冷えた体を芯まで温めていただけるようです。
ご家族の皆様と重陽の節句を楽しんでください。
重陽の節句の前夜の八日に、菊の花を真綿で覆い、菊の露と香を移します。
露に湿ったその真綿を肌にあてて清めると、若返り、寿命が千年延びると言われていたようです。
重陽の節句(九月九日)の行事で、前夜菊の花に花色に染めた真綿をおおって、その露や香を移しとり翌朝その綿て顔や身体を払うと不老長寿が保たれるというもので、平安時代に盛んに行われていました。
ことにこの時代の女性には菊の持つ不老・若返りの効をも信じられていた様で、紫式部が道長夫人の源倫子より菊の被綿を贈られて大感激して詠んだ歌が有名です。
紫式部日記
菊の露わかゆばかりに袖ふれて 花のあるじに千代はゆづらむ
雛人形・五月人形 人形のまち岩槻 小木人形 〒339-0072 埼玉県さいたま市岩槻区古ケ場2丁目 岩槻工業団地内
赤ちゃん授乳室完備
陰暦九月九日の節句。
陽の数である九が重なることをめでたしとして、「重陽」「重九』という。
そのころは菊の花の盛りでもあるので、菊の節句ともいう。
中国では「登高」と称して、岡などに登り、長寿を祈り菊花を浮かべた菊の酒を飲む。——- 長寿の酒
邪気を祓うためにグミを入れた袋を見につけるととも、グミの酒を飲むともむ言う。
日本においては、宮中で寒菊の宴を催し、菊酒をかわし、臣下に詩歌を作らせた。
民間では、農事に関連した祝いの行事として、九月九日、一九日、二九日を『三九』といい、『みくにちなす』として茄子を食べる地方もある。
また、暖めた酒は、寒さに向かう境目頃にあたる重陽の日に、酒を温めて無病息災を祈ったものである。
広島 厳島神社所蔵 国宝模写紺 糸威大鎧 鎧飾り
サイズ 間口84cm×奥行45cm×高さ90cm