赤ちゃんの御祝い事 お宮参り

お宮参りはお子さまが生まれて初めて産土神うぶすながみにお参りする行事です。

お子様が氏子入りをする儀式になりますから、これから住む土地の氏神様にお参りします。

お宮参りの日は地方によっては違い、生後五十日目とか百日目というところもあります。

最近は三十日頃に行なわれるのが多くなりました。

あまり暑い日、寒い日は避け、気候のよい日を選ばれるのが良いでしょう。

赤ちゃんの祝い着は無地一つ身の着物に男児なら紋付の熨斗目、女児なら友禅の祝い着をかけ、赤ちゃんを抱いた人の背中で紐を結び、この付紐にお守り袋を下げます。

付き添え人は、ご夫婦だけでも良いが‥‥‥

近くに父親のご両親がいれば、おばあちゃんが抱いて焼きます。

赤ちゃんに正装の祝い着を着せた時、母親は正装ですが、父親はダークスーツで良いでしょう。

お礼参りは、お宮参りの服装で出産を祝って下さった仲人さん、親戚の家にお礼のあいさつに行きます。

この時内祝いの品を持参する。

お宮参りのあと、あいさつに訪れた場合は子供に犬張子やでんでんたいこなどのおもちゃを祝い着の付紐に結び、ぶら下げてあげます。

もし用意がない場合は「犬の張子のかわりよ」と言って現金をおひねりにして渡します。

 

犬の張子



 

 

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日本の吉祥文様 鴛鴦の文様

鴛鴦(おしどり)の文様は、正倉院にも残されている、鳥類の中で鶴につぐ吉祥文様。

雄を鴛(えん)、雌を鴦(おう)といい、鴛鴦は雄雌が仲がとても良く常に一緒にいることから夫婦和合に例えられています。

 

 日本の吉祥文様 鴛鴦 おしどり

正倉院には仲良く向かい合う鴛鴦の文様が見られます。


鴛鴦は初秋にいろ美しく鮮やかな冬羽根となり、翌春までのままでいます。

現在も祝儀の晴れ着の着物や帯に使われています。

 



 

 

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日本の吉祥文様 鶴の文様

私たちが良く口にすることわざに「「鶴は千年亀は万年」がございます。

雛人形の衣装に瑞兆の鶴の文様が多く使われます。

日本の正倉院にもペルシャから中国までの広い地域に及ぶ花喰鳥が残っています。

鳥は口に綬帯じゅたい、瓔珞ようらく、宝相華、枝、花などをくわえた鳳凰、鴛鴦、尾長鳥、鶴などがあります。

それにならって日本独自の花喰鳥へと形を変えて来たものを見られます。

秋の奈良の正倉院展は『御即位記念 第71回 正倉院展』

御即位記念 第71回 正倉院展|奈良国立博物館

本年の正倉院展は、北倉14件、中倉8件、南倉17件、聖語蔵2件の41件の宝物が出陳されます。―奈良国立博物館HP抜粋―


ポスターの上の部分にあります奈良正倉院展の宝物の中に花や真珠の首飾りを銜えていくわえる鳥がございます。

こんな愛らしい花喰鳥が日本の平安時代後期に鶴が若松を喰えて飛んでいる姿へと変身しました。

 

衣装着 焼桐平台 京小十番親王飾り No1009A 女雛

姫の唐衣の衣装の文様には松喰鶴が使われています。




 

 

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9月16日は『敬老の日』です ♪

「多年に渡り社会に尽くしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」日の『敬老の日』感謝を届けます♪

1966年に「としよりの日」が「敬老の日」と改名され、国民の祝日となりました。

敬老の日

一年中の中での『通過儀礼』に長寿をお祝いする日本人らしい習慣があります。

❤ 還暦 (61歳)

干支が一回りし生まれた年の干支に戻り、「もう一度赤ちゃんのような力を頂いて、長生きできますように。」と願い~赤の頭巾にちゃんちゃんこを贈ります。

❤ 古稀  (70歳)

中国の詩人杜甫が70歳まで生きることは稀なことといったことから。

「人生七十古稀なり」からついた名称。

❤ 喜寿  (77歳)

「喜」の草書体が「七十七」に読めることから。

❤ 傘寿 (80歳)

「傘」の略字が八十に見えることから。

❤ 米寿 (88歳)

「米」の字を分解すると「八」「十」「八」になることから。

❤ 卒寿 (90歳)

「卒」の旧字体「卆」が九十と読めるから。

❤ 白寿 (99歳)

「百」から「一」の字を取ると「白」となることから。

❤ 上寿 (100歳)

長寿を上・中・下に分け、最も長いことからつけられました。

因みに80歳を中寿、60歳を下寿と言われます。



 

 

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戦国武将の兜の信仰からの立物 ①

綺麗な秋の月を武将の鎧兜に重ねてみましょう。

戦国武将の兜の立物には、信仰から来ているものがあります。

太陽・月・星と天文に祈りこめ兜・旗印に事様々な思いをかけ、形にしてきました。

太陽・月へ思いは密教にる日天・月天の捉え方もあるようです。

また、聖徳太子が仏教に篤く帰依したことはご承知のとおりですが、多くの武将たちも太陽、月にと心の思いを託してきたとも聞きます。

 

伊達政宗公(重要文化財)黒漆五枚胴具足模写 

戦国武将 伊達政宗公の弦月の前立ての鎧兜。勝色に金の日輪を付けた幟旗。日輪は仏教の金剛界、月は胎蔵界を表しています。


人気の五月人形・ 戦国武将 片倉景勝抗愛宕権現前立兜飾り No3192

仙台市博物館所蔵 黒漆五枚胴具足の兜。兜の前立には信仰をした愛宕権現のお守り札と八日月が付いている。




 

 

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2019年の中秋の名月は、9月13日です。

旧暦では、七月から九月までが『秋』に当たります。その真ん中が八月なのです。

この八月十五日の満月を『中秋の名月』とし、収穫を祈り、お月見をするものです。

『月々に月見る月は多けれど、月見る月はこの月の月』という言葉あそびの歌に歌われている月も八月を指しています。

一年で一番に美しい月とされる安芸のの月には月見団子、里芋、果物などを秋の七草とともに供えます。

中秋の名月 

2019年は9月13日が中秋の名月、翌日の9月14日が満月と、中秋の名月と満月の日付がⅠ日ずれています。月を基準とする旧暦では十五日の夜が満月になります。




 

 

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9月9日『重陽の節句』には栗ごはんでお祝い ♪

重陽の節句は五節句の一つ『菊の節句』『栗の節句』とも言われます。

五節句 重陽の節句 菊の節句 栗の節句

栗の節句 重陽の節句の御馳走です。ビタミン・ミネナルの豊富な栗は夏で弱った体を回復させる有難い食材です。




 

 

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菊の花に不老長寿の願いを9月9日 重陽の節句

重陽の節句を楽しみましょう ♪

陽の数である九が重なることをめでたしとして、「重陽」「重九』という。

そのころは菊の花の盛りでもあるので、菊の節句ともいう。

江戸時代になって、重陽の節句は五節句の一つになり、藩主は登城してお祝いし、庶民は菊酒を飲んで、栗ごはんを食べる風習になりました。

重陽の節句 菊の被綿

 

重陽の節句(九月九日)の行事で、前夜菊の花に花色に染めた真綿をおおって、その露や香を移しとり翌朝その綿て顔や身体を払うと不老長寿が保たれるというもので、平安時代に盛んに行われていました。

ことにこの時代の女性には菊の持つ不老・若返りの効をも信じられていた様で、紫式部が道長夫人の源倫子より菊の被綿を贈られて大感激して詠んだ歌が有名です。

紫式部日記

菊の露わかゆばかりに袖ふれて 花のあるじに千代はゆづらむ

 重陽の節句 菊の被綿 

露に湿ったその真綿を肌にあてて清めると、若返り、寿命が千年延びると言われていたようです。




 

 

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重陽の節句は江戸時代に五節句の一つに

七草がゆの人日の節句に、桃の節句、端午の節句、七夕、これに重陽の節句を加え、五節句。

 一月七日=人日の節句(七草の節句)

新しい年の初め、七草をお粥に仕立てて食し、一年の邪気払いをする。 1月1日は特別の日とされ、奇数の重なる日を選らばれているが1月だけは7日になっている。

 一月七日=人日の節句(七草の節句)

 三月三日=上巳の節句(桃の節句)

婦女の節句、室町時代からの供え物に゛桃花酒゛または゛白酒菱餅をお供えします。



貝や魚、山菜など春を楽し具を沢山使ったちらしずし

一対の貝がらだけがぴったりと合う大人になったら、良いご縁が頂けますようにとの願いをこめてはまぐりの潮汁を頂きます。

桃の節句 菱餅・蛤のお吸い物

 

 五月五日=端午の節句(菖蒲の節句)

男児の成長を祝う節句

菖蒲には特別な力があると信じられ、五月五日には菖蒲湯に入ったり、菖蒲を屋根に葺いたり、悪いことが起こらないように祈ります。粽、柏餅を食します。

端午の節句 柏餅と粽

 七月七日=七夕の節句(星まつり)

昔、七月七日は水の神様をお迎えする行事の日でした。

棚機つ女(タナバタツメ)とい呼ばれる女の人が夜通し機を織り、織り上がると神様にお供えをして、病気、災いが無い様にと、お願いをしました。

江戸時代に町の人にも広まり、願い事を短冊に書いて、笹竹につるすようになりました。

七夕まつり そうめん

 

 九月九日=重陽の節句(菊の節句)

陽の数の「九」が重なることをめでたいとして『重陽』『重九』とも言う。 

中国には「登高」として、野に出て丘に登り、丘の上で、長寿を祈り、菊花を浮かべた『菊の酒』を飲んだ。


邪気を払うためにグミを入れた袋を身につけて、グミの酒を飲む。

重陽の節句 菊の節句 菊酒



 

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人形と歴史の町 岩槻 鷹狩り行列参加者募集のお知らせ

江戸時代、徳川家康公は、鷹狩りをしながら何度も岩槻を訪れています。

その折、岩槻城主は、加倉口御門外でお出迎えしていました。
その歴史の1ページを再現する「鷹狩り行列」に出演していただける個人またはグループを募集します。

第7回 人形と歴史のまち岩槻 鷹狩り行列参加者募集のポスター

徳川家康は無類の鷹好きとして知られ、一説にはその生涯において千回以上も鷹狩りを行ったと言われています。

鷹狩りは単なる娯楽ではなく、健康増進、民情視察、軍事調練等を兼ねたものでした。

家康は関東に入封した翌年の天正19年(1591)から忍、川越、岩槻など諸城周辺で鷹狩りに興じています。

慶長12年(1607)駿府に引退した後も、家康は鷹狩りで毎年のように江戸に下り、川越、鴻巣、忍、岩槻、越谷などへ訪れています。

 

第7回 城下町岩槻鷹狩り行列参加者募集について

 

城下町岩槻鷹狩り行列実行委員会事務局(岩槻区役所観光経済室内)

〒339-8585 埼玉県さいたま市岩槻区本町3-2-5

  (TEL) 048-790-0118

  (FAX) 048-790-0260



 

 

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