歴史のまち岩槻 江戸時代の岩槻城と城下町

歴史と人形のまち岩槻は城下町として有名です。

街を散策すると、色々な物を目にすることがあります。

その中の一つをご紹介いたします。

江戸時代の岩槻城は、城郭・士族屋敷・城下町から成り立っていました。

城郭は、本丸、二の丸、三の丸を中心に幾多の曲輪くるわがありました。

氏族屋敷は、江戸時代初期と後期では異なっていましたが、小路と呼ばれる道の両側に屋敷を構えていました。

城下町は、九町四か新田からなり、その一つが写真にある横町(栄町)です。

この写真は、昭和二十七年八月七日の七夕のときに撮影されたもので、家並みや竹の七夕飾りなど当時の風情がよくわかります。

 

歴史と人形のまち岩槻 城下町の昭和半ばの街並み



 

 

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歴史と人形のまち 岩槻へようこそ 『杉並木』

岩槻は江戸から九里、そのノド頭に当たる日光御成街道の宿場であった。

日光に通じる御成街道 杉並木がある。

岩槻城下の繁栄の名残りが感じられる。

三代将軍家光が日光に東照宮を造営し、その街道筋に当たる宿場町であり、城下町の岩槻は想像以上のにぎわいを見せていた。

東照宮の造営は寛政元年に始まり、寛政13年に終わるが、その間全国から集まる工人も多く、木材などの資材を運搬する人馬の往来で賑わい、完成後も参拝の客はあとをたたず、『日光見ずして結構というなかれ』といわれるほどの名所になって、死ぬまでには一度は日光を見ておきたいものだと、全国から引きも切らずに老若男女がやってきたし、将軍の主催する祭にも各地の大小名がはせ参じた。

とくに何年かごとに行なわれる東照宮の修築には、全国から有名無名の工品がたくさん集められたから、地方都市にはめずらしく人々の交流もさかんであった。

その杉並木のある御成街道を少し進むと東武動物公園がある。

29日、東北北部と九州北部がようやく梅雨明けした。との発表がありました。

すべての地域が梅雨明け一年中で一番暑い時期です。

ところで、小木人形から車で20分くらいの距離に東武動物公園がございます。

この暑い夜をお子さまと動物園も良いでしょうね。

ライトアップされた夜の動物たちを観察してみるのも楽しいです。

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(岩槻工業団地内)

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