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岩槻城は城郭・武家屋敷・城下町を土塁(大構または惣構と称す)が囲んでいます。
戦国時代の末から江戸時代の岩槻城下町は、その周囲を土塁と堀が囲んでいたが、この土塁と堀を大構(外構・惣構・土居)という。
城下町側に土塁、その外側に堀が巡り、長さは約八kmに及んだという。
この大構は、天正年間(1580年頃)、小田原の後北条氏が豊臣政権との緊張が高まる中、岩槻城外の町場を城郭と一体化するため、築いたものとされ、城の防御力の強化を図ったほか、城下の町場の保護にも大きな役割を果たした。
廃城後は、次第にその姿を消し、現在は一部が残っているにすぎず、愛宕神社が鎮座するこの土塁は大構の姿を今にとどめる貴重な遺構となっている。
「岩槻城大構(いわつきじょうおおがまえ)」
埼玉県さいたま市岩槻本町3丁目21−25