新着情報
慈恩寺 (さいたま市岩槻区慈恩寺139)
慈恩寺は坂東三十三ヶ所観音霊場の十二番札所、多くの観光客が訪れます。
この慈恩寺は小木人形から車で5分の所にあります。
慈恩寺は天台宗の寺院で華林山最上院といい、天長年間に慈覚大師円仁が開山したと伝えられています。
慈恩寺という寺名は、慈覚大師が学んだ唐の長安(現:西安)の大慈恩寺にちなんで名づけられたといわれています。
寺内には市の文化財である南蛮鉄燈籠があります。
これは、岩槻城主太田氏の家臣である伊達房実が岩槻城安泰祈願のために寄進したものといわれています。
慈覚大師と慈恩寺
引用資料 いわつき郷土文庫 第2集 岩槻の伝説 岩槻市教育委員会
あるとき、慈覚大師が日光二荒山で「東国で仏教をひろめるにふさわしい霊場を示した前」と祈り、李すももを空高く投げ上げました。
すると紫色の雲がそれを取り巻いて東南の方角へと飛び去っていきました。
慈覚大師が李の飛んでいった東南の方角へ旅して行くと、とある広い野原に一人の老人が突然現れ、「私は長い間大師をお待ちしておりました。ここは仏の教えを広めるのに最適の地です。
是非ともここにとどまり、仏教を広めてください」と懇願しました。
慈覚大師が老人と初めて会った場所は、逢山あいやまの原(相野原あいのはら)と呼ばれるようになりました。
慈覚大師が老人に言いました。
「私は寺を立てて仏教を広める土地を求め、方々を歩いています。
もし私が探し求めている印がなければ、残念ですがこの地に寺を建てることはできません」
すると老人は「実は不思議なことが一つございます。私の家の近くに、わずか一夜のうちに李の木が生え、花が咲いている所があるのです」と言いました。
それを聞いた慈覚大師は大変喜び「私が寺を建てるべき土地はまさにこの地です。
ここに寺を建てましょう。そして李の木を寺の木といたしましょう」と老人に言いました。
念願がかない寺を寺を建てることができた慈覚大師は、寺の境内、建物そして家に至る
までありとあらゆる場所に李の木を植えました。
李の花に埋め尽くされたこの寺は山号が華林山かりんざん(花林山)となりました。
そして、この地の一帯が慈覚大師の修行した唐の大慈恩寺ににていることから、寺の名を慈恩寺と定めたということです。