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人形のまち岩槻は歴史の重みを伝えます。
今から約500年前 、太田道灌が関八州の北の砦としてこの地に岩槻城(白鶴城)を築いてから、奥州、北陸道に通ずる江戸近隣の城下町として栄えた町です。
やがて江戸時代には、岩槻街道が『日光御成街道にっこうおなりかいどう』として、将軍の日光参拝の通行路として使われました。
私は子供の頃よりてっきり太田道灌が岩槻城を築いたと聞いてきました。
今では忍城(現 行田市)城主、成田氏とする説もあるようです。
埼玉では城下町の岩槻、川越、忍と並びます。
とにかく今では岩槻城は存在しませんが、歴史のあるまちです。
引き続き
歴史と人形のまち岩槻をご案内致します。
いわつき郷土かるた 『と』
平成元年に旧岩槻市の市制35周年の記念として作られ歩道タイルとして岩槻区民が親しんでおります。
岩槻城址公園
さいたま市岩槻区太田3-4
東武アーバンパークライン(野田線)「岩槻駅」より徒歩25分
岩槻城の曲輪の部分に当たる。
公園内には、黒門と呼ばれる岩槻城の表門が保存されている。
次回は『黒門』をご案内させていただきます。