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歴史と人形のまち 岩槻 時の鐘
岩槻の『時の鐘』は、四里四方に響きわたっていたといわれ、
「岩槻にすぎたるものが二つある 児玉南柯と時の鐘」
とうたわれるほど岩槻の人々の誇りになっています。
県内には川越や行田にも再鋳された鐘はありますが、岩槻の「時の鐘」が最も古いものです。
岩槻城下の時の鐘は、寛文十一年(1671)、城主阿部正春の命令で鋳造されました。
渋江口に設置された鐘の音は、城内や城下の人々に時を知らせていました。
50年後の享保五年(1720)、鐘にひびがはいったため、時の城主永井直信(陳)が改鋳したものが現在の鐘です。
鐘は一日三回撞かれたとも言われていますが、江戸時代後期には、一日十二回撞かれていたようです(『新編武蔵国風土記稿しんぺんむさしのくにふどきこう』他)。
鐘楼は、嘉永六年(1853)に岩槻藩により改建されており (棟札銘むなふだめい)、 方13.1メートル、高さ2.1メートルの塚の上に立っています。
戦国時代の武将゛太田道灌゛が鷹狩の際、降雨にあい、近くの農家で蓑を求めたところ、娘は蓑の代わりに一枝の山吹の花をさしだしました。
道灌は帰館し、そのことを近臣に話すと、「娘が蓑を持っていない貧しさを、この和歌の゛みのひとつだに なきぞかなしき゛の部分になぞらえ、山吹の花を差し出したのではないか」と教えられました。
その後、道灌は歌道にも精進したと伝えられています。
資料抜粋 さいたま市岩槻区役所コミュニテイ課 より
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