久能山東照宮蔵 徳川家康の歯朶(しだ)具足模写 No3251
徳川家の武具の中でも筆頭に位置づけられる具足。
久能山東照宮蔵 栄達の徳川家康の歯朶(しだ)具足模写
祖父から孫への最高の贈り物として人気の鎧飾り。
【商品番号】久能山東照宮蔵 徳川家康 歯朶大黒頭巾具足模写 牛皮仕立 No3251 【価格】¥341,000(税込) 【サイズ】間口105cm×奥行55cm×高さ105cm |
歯朶具足は徳川家康公が1600年の関ヶ原の合戦と1614年~15年のの大阪の陣の際に用いた甲冑。
徳川家康が関ヶ原の戦いの前に大国天の夢を見て、甲冑師に歯朶の前立が付いた具足を作らせ、勝利につながるという縁起の良い、吉祥の具足。
ご存じのとおりお正月飾りには欠かせないものに裏白と言われる歯朶(羊歯)がございます。
恐竜時代より以前から生えていたという歴史のある植物。
歯朶は長寿と永遠の家族(一族)の繁栄を祈願する意味があります。
また、歯朶は胞子で大量に増えることで、子孫繁栄に通じることから、徳川家康は好んだ前立て。
徳川家の武具の中でも筆頭に位置づけられる具足。
徳川家の縁起の良い具足ということで、德川家四代家綱以降、歴代将軍は、この具足とそっくりの『御写形(おかうつしがた)』を作らせ、正月11日の『具足祝』の際、本丸御殿の黒書院に飾り、家康公の栄光を偲んだ。
律儀者で辛抱強いがゆえに、天下を取った家康公。
徳川家康 東照大権現
幼年は織田・今川両家の人質であったが、桶狭間の合戦後、岡崎に戻り独立。
三河平定や織田信長の死を経て五か国の大大名へと成長。
小田原攻め後には、豊臣秀吉より関東六か国を与えられ、天正18年(1603)に幕府を開き、約260年間続く泰平の世の礎を築いた。
死後は静岡の久能山に埋葬され、翌年、東照大権現の神号を贈られ、日光に改葬される。
徳川家康―四海を統べる者、天下人
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家康公が関ヶ原の合戦に着用し、大阪の陣の際に陣中において勝利を得た具足
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戦国武将鎧飾りでは一番人気商品です。
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兜は大黒頭巾兜形・兜の形は家康公が見た大黒天の霊夢による。歯朶の前立
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焼桐を素材とした飾り段・屏風に豪華さの中に気品あふれるセットです。
静岡 久能山東照宮
駿河湾を背に、千百五十九段の石段がある。
二百六十五年も長き泰平の江戸時代を築いた武将・徳川家康公が眠る久能山東照宮。
平成二十二年十二月に、権現造りの最古の建造物として国宝に指定される。
絢爛豪華な社殿の奥に進むと、石段の左右には家康の家臣達が奉納した石灯籠があり、荘厳な感が致します。
五月人形の焼桐仕様の飾り台・屏風に弓太刀は鎧兜の魅力を引き立たせます。
焼桐は特性を持つことで知られており、当店の焼桐は特に日本間・洋間にも映える物として評判です。
当店の焼桐は総桐ですから、側面まで焼きの加工が施されて、軽く反りにくく、やわらかな感じです。
焼桐ですから表面が綺麗になり、汚れにくくなっていますので、素手でのお取り扱いされても安心です。
製作工程
① 植物性液体(表面だけでなく表面深まで火が通る液体)を塗ります。
② 酸素バナーで焼きます。
③ 炭取り専用機にてスス炭を取り除きます。
④ 伊保田を塗ります。(ハゼの木に付虫の油を採取し粉末にする、粉米油を液体にしてぬる。)
⑤ 磨き機に掛け磨き艶を出します。